第1回 「会津にて」
2016.01.24(日)13:30會津風雅堂(会津演劇鑑賞会公演)
間もなく大寒を迎えようという時期。例年にない暖冬とは言うものの、やはり東北は雪まじりの天気だ。折から、西日本に猛烈な寒波が襲来し、鹿児島県の奄美大島では115年ぶりの雪、とのニュースが舞い込んで来る。
交通の乱れを懸念して早めに東京を出たが、幸いにも予定通りに今日の公演地「会津若松」に到着。
駅前の積雪は日陰でも40センチほどだろうか、地元の方に伺うと、例年の半分ほどだそうだ。
最近はどこの地方にも立派なホールができており、東京にいながら羨ましい、と思うことがしばしばだ。
今日のホールも「會津風雅堂」と洒落たネーミングで、一階席だけで1,100名収容とか。
ゆったりとした造りで死角が少なく、どこの席からも見やすいホールだ。本日の観客は600人強。
一般的な感覚からすると「半分強では少ないのでは…?」と感じるが、この感覚に、すでに自分が東京の便利な生活に慣れ切っている危うさがある。
人口規模、人口密度が東京都は圧倒的に高い。
私が住んでいる東京の区の人口は約30万人で、福島市の人口に匹敵する。
一方で、福島市の面積は746.4k㎡、私の住んでいる場所は15.59k㎡にしか過ぎず、実に47倍以上である。この範囲から、車で観客が続々と集まることを考えれば、もちろん理想は満員だが、この数字がどんな努力の上に成り立っているのか、その意味が良くわかる。
ここのホールにしても、東京のように駅から歩いて数分、という場所に建っているわけではない。
豊かな自然と清浄な空気に囲まれている分、人口密度が少なくなるのは当然だ。
そうした中、一日だけの公演に600人集まる、ということは、演劇鑑賞会を運営している方々の熱意に他ならない。
また、これはどこを訪れても感じることだが、迎える方々の熱意が実に高い。
もちろん、地域により温度差があるのは否定できない。イメージによる判断は危険だが、福島県の人は寡黙で我慢強い、という印象がある。
この日の舞台は、芝居のポイントで反応するのではなく、じっくり味わった末に幕切れに観客の想いが一気に弾けたような拍手が起きた。
どこの演劇鑑賞会にも見られる傾向だが、会員は圧倒的に女性の比率が高く、東京と同様に観客の高齢化も進んでいる。
開演前の事務局長さんの挨拶で、「ここまで皆さん、旦那さんや息子さんに送り迎えをしてもらっていますよね。
そういう人をただのアッシー君にしないで、どうか隣へ座ってもらって、一緒にこの素晴らしい舞台を観てください」と力説しておられたが、さもありなん、である。
「演劇鑑賞会」については後述するが、すでに50年以上の歴史を持つ。
そのため、合理的なシステムが出来上がっており、年に数回こうした舞台を迎えるために、会員である観客も慣れている。
開演5分前のブザーが鳴ると、携帯電話の電源オフなどの案内があった後、恒例の「席詰め」を行う。
これは、東京や他の劇場にはない習慣だ。
開演間近になっても空いている席を有効利用しようとするもので、観客全員が舞台中央、後列から前列へと、空席を埋めながら移動をする。
「では、席詰めを始めてください」という合図のもと、ものの一分とかからずに、観客は隣の空いている席へ順次移り、舞台中央へ向かって一つの集団になる。これはどこの鑑賞会でも行っていることで、実に合理的かつ観客に親切なシステムだ。
いつ、どこで始まったのかは知らないが、舞台を演じる人々に対し、「遠くから来てもらったのに空席があっては申し訳ない」という気持ちが行動になったのだろう。
こうした、東京の大きな劇場では絶対に眼にすることのない光景を眼にし、自分も実際に体験することも非常に貴重なのだ。