幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

聞き手:中村 義裕(演劇評論家)

 「あの人に聞く 番外編〜『王女メディア』★平幹二朗さん一周忌の集い」

 

このコーナーは、平さんとゆかりの深かった方々に、さまざまな想い出をお話いただくコーナーです。

 早いもので、2016年10月22日に平さんが突然我々の前から姿を消して一年が過ぎました。多くの方々から、「平さんが亡くなったような気がしない」との声を、このホームページにもお寄せいただいています。
 今回の「あの人に聞く」番外編として、平さんの一周忌を過ぎた11月1日、平さんが「幹の会」で演じた最期の作品となった『王女メディア』に関わった皆さんが、平さんの墓前に手を合わせ、そして平さんが晩年もっとも愛したお店で、賑やかに平さんを偲びました。
 
 お店のカウンターのいつもの席には平さん用のワイングラスが置かれ、大好きだった白ワインが注がれています。みんなが旅公演の一夜のように呑み、食べ、語らう姿を、微笑みながら眺めている平さんがいるかのような会でした。
 司会は、「幹の会+リリック」のプロデューサーで、ホームページの運営責任者でもある秋山佐和子さん。


平さんが最期まで愛したお店に、多くの方が集い、平さんの想い出を語り合いました。
 

カウンターのいつもの平さんの席。今夜は、店主の心尽くしのワインや品々に加え、出席者からお手製の「平さんが大好きだった栗の渋皮煮」も。
 

 

秋山:早いもので、もう一周忌なんて、全然信じられないし、今にもドアを開けて「やぁ」って入って来るような感じがします。
 今日は、「一周忌で平さんを偲ぶ会」ですが、堅苦しいのは平さんは嫌いですし、平さんが大好きだったこのお店で、平さんのように呑んだり食べたりしながら、皆さんの想い出を伺おうと思っています。
 一回の芝居が半年から一年近い旅になりますから、その中で、皆さん多くのことを経験され、感じられたと思います。そんなお話も伺えればと思います。
まずは平さんに「献杯」。

 
-今日の参加メンバーは、『王女メディア』の2012年、2015〜16年の舞台に関わった皆さん、総勢21名。俳優として共に舞台を踏んだ方、裏方として舞台を支えた方々が集まりました。平さんとの想い出「叱られたこと」や「凄い!と感じた瞬間」「一番印象に残っていること」などを伺いました。
 

★有馬 眞胤(守役・初演)

 
 僕は2014年の初演でご一緒しましたが、平さんは体調が悪くて機嫌が悪かったのでしょうか、怖くて何となく遠ざかっていました。旅の最後の九州で、平さんが「有馬は俺を避けているのか!?」って。宴会の時に「ここへ来い」と言われて平さんの隣に座って、それから平さんと毎日のように朝の食事とかご一緒させて頂いて。
僕は26歳の時に劇団四季に入って、その時、平さんは38歳か39歳。『ハムレット』をやりましたが、声が綺麗で、シェイクスピの台詞をこんな風に喋る人がいるのかと思って。一緒の舞台に出たいなあと思っていましたが、役が付きませんでした。4年くらいで劇団四季を辞めましたが、その後、平さんから幹の会の「冬物語」の誘いがあって、平さんと芝居で絡めたことが嬉しかったですね。
 
 蜷川幸雄さんが演出した『王女メディア』(1978年日生劇場)の時、コロスの長をやりました。蜷川さんは平さんに直接言わないんです。コロスの演技が平さんに付いていけない時、蜷川さんから「有馬さん、平さんにここの所こうするように言っておいてよ」なんて言われて、芝居が終わって平さんの楽屋に行った時。水のシャワーを浴びていました。「テンションが上がって、水のシャワーを浴びないと平常に戻らないんだよ」…。日々の舞台を、そんなにテンションをあげてやっているのか!と驚きました。
 
 今回の旅は、平さんは凄く体調が悪くて、僕も凄く苦しくって。平さんは僕の台詞は飛ばすし、その時の体調で立てない時もありました。何も言わないけれど、「俺を立たせろ」とか…。平さんはお酒もやめていましたね。
千秋楽の打ち上げの後、みんなでカラオケに行こうと言っていたんですが、疲れてしまってそのままホテルへ帰り、ボーッとしていました。自分のことであんなにギリギリで、一杯一杯になっちゃう平さんは初めて見ましたね。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 忘れられないですね。いろいろな俳優さんとお付き合いしましたけれど、平さんと最後にご一緒させて戴いたのが宝物です。優れた舞台俳優という意味でも、『王女メディア』のようなギリシャ悲劇の台詞を演じられる点でも、平さんが最後だと思います。
 
 

★間宮 啓行(乳母・再演)

 
 今回の旅の中盤くらいの頃、豊橋の実家に泊まっていたんですよ。公演が終わって劇場を出て、陸橋の所で、平さんが「どこ行くの?」「家に帰ります」。そうしたら、「帰れ!」って。
その時はじめて親しくなったと思いました。今思うと、ご飯を一緒に行く人を探していたんでしょうね。
 
-今回の旅の印象を教えてください。
 
 あんなに長い旅は初体験でした。しかも平さんと、です。平さんの立ち位置によって日々の芝居が変わり、平さんの変化によって舞台が少しづつ変わっていくのを体感しました。練って練って、さらに練り上げて、発酵したおいしいパンができた感じでしたね。特に何かを相談したりするわけではないのに、出来上がって行く過程が面白かったですし、平さんの凄いところだとも思いました。
今、改めて、「平幹二朗」という役者を考えると、怪物ですね。若い頃の僕はとんがっていて、共演することなんかないと思っていました。それが、この歳になって共演して、平さんに染まって。びっくりですよ。ご一緒したきっかけは演出家の高瀬久男さんの推薦ですが、高瀬さんに感謝ですね。
最初の立ち稽古で、自分で立ち位置を決めた時に、目の前に平さんが自分の席にいました。靴紐をむすんでいただけなんですけれどね。もうどうしようかと思って、立ち位置を変えようかと考えました。一生忘れられない「瞬間」ですね。
 
 

★わたなべ みのり(人形制作)

 
-今、振り返って、『王女メディア』で、「個人的」に一番印象的な場面(舞台ではなく、平さんとのやり取りなど)をお教えください。
 
 人形を使って稽古を始めた最初のうちは、人形の顔が平さんのイメージにいまいちしっくりいっていなかったようですが、しばらくたってから顔を直すかを伺ったところ、「だんだん馴染んできて、いいと思うようになりました。」と言っていただいたことです。人形を演者の一員として受け入れ愛してくださったと感じ、とても嬉しかったしほっとしました。
 
-平さんを「怖い!」とか「凄い!」思った瞬間などがあればお教えください。
 
 平さんのことを怖いと思ったことはないですが、出来上がった人形を初めて平さんに見せる時は逃げ出したいくらいの緊張がありました。平さんが求める世界観に、自分と自分の作品が達しているのか、面接試験を受けているような気持でした。
 
 求める世界、目指す世界に全く妥協がないところが「凄い」です。何度か稽古を見た時にその圧倒的存在感に惹きつけられ、舞台稽古、立川とさらに惹きつけられ、グローブ座では人生で何回体験できるだろうかと思うくらい強烈に惹きつけられました。人はこんなに進化できるものなのかと感動しました。
 
-舞台で使う人形について、平さんからは何か注文が出たのでしょうか?
 
 初演の時はすべてが手探りの人形制作だったので、終わってからずっと次の人形制作が来た時のために勉強や研究をし再演の人形制作に取り組みました。その時は自分のできるすべての力を注いだと少々の達成感を感じていましたが、平さんを前にすると、もっともっともっと追求するべきだったと思いました。
 
 再演の時、始めは「初演と同じものを」という発注だったのですが、稽古が始まると人形の仕様に新しい希望や変更がいろいろ出てきました。人形にも小道具としてではなく、出演者として演技を付けていらっしゃるように感じました。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか?
 
 平さんとお別れして早一年、お心持ちを平さんに聴かせて差し上げてくださいませんか。
平さんには「感謝」でいっぱいです。平さんにもメディアのキャスト・スタッフの皆さんにも人形ともども仲間としてとても良くしていただきました。あんなに人形を大切にしていただき、小道具冥利に尽きました。
小道具人生で、あんなに幸せになることはなかなかないでしょう。素晴らしい機会を与えてくださったことに感謝しています。
 
 

★山下 厚(照明オペレーター・チーフ)

 
-今、『王女メディア』の旅を振り返って、どんな想いでしょうか。
 
 旅が多かったから、今、お墓参りに行くバスの中の雰囲気が旅公演みたい。昔の雰囲気でいい感じですね。旅公演は皆で過ごして、いい時間でした。平さんの演劇鑑賞会の旅は他の旅と違って、普段はアットホームでしたね。本番は妥協を許さない。狎れ合いにならないところがいいですね。平さん頑張っているから、僕も頑張ろうと思いました。
 普段の平さんですか? おしゃべりな人ではないけれど、あったかい。怖いんだけどあったかい。
怖い、というよりも厳しい。
「凄い!」と思える部分?……舞台上ですね。楽屋の階段上るのも辛そうだったけれど、舞台に立つとそぶりも見せなかったですね。存在も何も、全部凄いですよ。過ぎたことは言わないですしね。振り返らないでいつも前だけを見ているような感じでした。
 最後の『王女メディア』の旅は、これで終わっちゃうのかという淋しさがありました。毎公演、教えられることが多かったのが印象に残っています。いろいろな場所で、演劇鑑賞会の人たちが嬉しそうに客席に入って行くのを見て、「この人たちのために頑張ろう!」と思いました。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 偉大な人ですね。今日、お墓参りできて本当に良かったです。
 
 

★桜井 香(照明オペレーター)

 
-平さんのどんな面が印象に残っていますか?
 
 私たちに対しては優しかったですが、ご自分に対して一番厳しかったですね。
2014年の舞台での通し稽古の時に、カツラが合わなくて痛いと言って稽古が止まりました。平さんが舞台上の噴水に腰かけて、もう出来ないと。怖い時間でした。通し稽古はそこで中止になりました。私の仕事に対して「ああしてほしい」とか「ここをこうして」という注文は一度もなかったですね。気持ちが入っているから、心地いい仕事でした。
私は、旅は基本的に嫌いなんですが、『王女メディア』は半年を越える長い旅なのに、あんなに楽しかった旅はありませんでした。またやりたいと思いますね。
平さんと作っているのが楽しくて、舞台も毎日やっても飽きなかったです。すべてが楽しい旅でした。
もう一周忌とは思えないけれど、淋しいですね…蜷川さんに呼ばれちゃったのかな…。
 
 

★伊勢 尚子(照明オペレーター)

 
-平さんとは「幹の会」の公演で何回もご一緒されましたね。どんな印象でしたか?
 
 幹の会第一回目公演の1995年の『オセロー』、2000年の『シラノ・ド・ベルジュラック』、2001年の『冬物語』初演、2005年の再演、2006年の『オセロー』で照明を担当しました。
毎回狂う王様のイメージ。足を痛めてても、舞台ではバタンと倒れる姿。普段が穏やか過ぎるぐらいで、楽屋で挨拶すると決まって「呑んでる?」って気遣ってくださって。あの優しさが嬉しかったですけれど、舞台では何であんなに変われるんでしょう?
 何回もご一緒させていただきましたが、「凄い!」ばっかりで、「怖い!」と感じたことはないかもしれないですね。「可愛いっ!」と思ったことは何度もあります。観劇の時、バレンタインにハート型のおせんべいを楽屋で渡した時に、「元気?呑んでる?」ってニッコリ笑った後で、「あっ、義理ね」って。可愛らしかったです。
 
-今、改めて、「平 幹二朗」という役者をどのように感じておられますか?
 
 大好き。愛を込めて、裏ではミキティって呼んでいました(笑)。酔っぱらって一度だけご本人に言ってしまったら、ニコッと笑って「あ、そう」。素敵ですよね。大好き。
芝居については、「怪優」ですよ。あんな方いないです。魂吸い取られて持って行かれちゃいそう。
だから舞台のビデオはまだ見ることができません。
 
 

★山本 利一(宣伝美術)

 
-平さんとのやり取りで印象に残っていることがありましたら、お教えください。
 
 「ビジュアルには拘りたい。」と打ち合わせの時いつも言っていた平さん。映画、テレビ、舞台で活躍した大スターとの打ち合わせは僕にとってとても興味深く、楽しみでした。平さんのイメージを聞き僕がラフ案を提案してイメージの擦り合わせをして出来上がったのがポスター、チラシ、パンフレット等です。一つ一つの作品の思い出が走馬灯のように蘇ります。宣材写真の撮影も楽しかったです。2010年の『冬のライオン』のポスター撮影の時、個々のキャストの写真を撮ったのですが、平さんの希望で全員が同一方向を見ることになりました。そういう視点が斬新でしたね。それと表参道のスパイラルカフェで打ち合わせしたときシャンパンを飲み干す時のスタイリッシュな平さんが美しくて「これぞ、平幹二朗!」と思ったものです。本当に素敵でした。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか?
 
 平さんは様々な知識に溢れていてビジュアルをイメージする力が鋭い役者です、とても刺激になりました。好きなものと嫌いなものが明確だったと思います。映画、テレビ、舞台でそれぞれのジャンルで演技を使い分けるとても希有な役者です。数々の作品で感動させて頂きました。「本当に亡くなってしまったんだな~」と思うと寂しく残念でなりません。来世でも素晴らしい芝居をして観客を感動の渦に巻き込んでることでしょう。
 
 

★麻生 かほり(制作)

 
-平さんとのやり取りなどで印象に残っていることをお教えください。
 
 地方で、風邪気味の平さんの付き添いで一緒に病院に行ったことがありました。
待合室で子供が走り回り、騒いでいたのでちょっとドキドキしていたのですが、思いがけず平さんがニコニコと微笑んで眺めていたのが印象的です。
当時はまだまだ平さんが怖かったので(笑)
どうやらお孫さんの生まれる前くらいだったみたいですね。
 
―制作の方は旅公演のすべてを仕切る立場でもあるわけですが、どんな時に満足感を感じますか?
 
 事故もなくすべてを終えて、飛行機や新幹線から降りた時に、「あぁ、終わった」って感じます。
旅に関しては、平さんには毎回「旅手帳まだー?」とよく言われました。旅公演中のスケジュールを早く立てたかったんだと思います。
演劇鑑賞会では各団体さんに出演者全員のサイン色紙をお渡しするのですが、基本のレイアウトを考えてチェックしていただいた時に、「君は余白の美しさを分かっていないんだよな」、と言いながら一緒に考えてくださっていました。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか?  
 
 怖いところとお茶目なところと併せもった方。厳しい一言を言ったあと、ちょっとニヤリとしながら反応をうかがってるところがありましたね。
 
 最後に「幹の会」のお客様のダイレクトメールの宛名用シールを「50セット欲しい」と頼まれたので、平さんにお渡ししました。その時に、「50セットで足りなかったら、あの世から連絡するからね」と言われました。「ご連絡待ってまーす!」。
 
 

★石井 義一(輸送)

 
―平さんとの心に残る「想い出」がありましたら、お教えください。
 
 想い出があり過ぎて。全部楽しかったです。道具を輸送するトラックの絵を楽しみにしていた平さん。車体に絵を貼るのは高価なんです。一度貼っていなかった時に淋しそうな顔をしていて、無言の注文のような。旅の途中で貼りました。
こんな楽しい旅はなかった。本当にいい想い出です。
 
-「凄い!」と感じた平さんは、どんな時でしたか?
 
 あの年であの声。偉大すぎて言葉にできませんね。凄い人です。
 
 

★吉田 ひとみ(舞台監督助手)

 
-平さんとのやり取りなどで印象に残ったことをお教えください。
 
 最後の稽古場の温度21度は寒かった! 平さんはじめ役者さんは舞台衣装に似た稽古着を着ていたから暑かったんです。
ダメ出しの言い方が厳しくて驚きました。でも、後ろから「ひとみちゃん」って天の声のように平さんの声が響いた時には、そのギャップにビックリしました。
 2010年の『冬のライオン』の打ち上げでカラオケに行った時。演歌の部屋、ポップスの部屋・・・とかいろいろチームで分かれて歌っていたのですが、平さんは一人で演歌を練習していました。面白い人だな~と思いました。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 惜しい。まだまだ芝居できたのに、何でこんなことで死ぬんだよ。もったいない。早すぎた。
 
 

★染谷 誓一(制作協力・ぴあ)

 
-平さんとのやり取りで印象に残っていることなどをお教えください。
 
 舞台を見終わって楽屋に行った時、舞台の時と全然違うんです。普段はニコニコしているけれど、舞台になると人が変わる。一観客として遠い存在になる。怖れ多い人ですね~。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 あの年齢まで常にマルチで活躍していたこと。そして日本各地津々浦々まで、あの公演数を続けていたこと。本物の役者だな、と思います。
 
 

★中崎 裕介(制作協力・ぴあ)

 
-平さんとのやり取りで印象的なことがありましたら、お教えください
 
 ONとOFFの切り替えが凄いことですね。開演前に楽屋には絶対に挨拶に行けませんでした。集中しているから怖くて。今思えば一度でもご挨拶に伺って、その空気に触れておけば良かったと思います。若者たちにコンセントレーションの固め方を伝えたかった。
 メディアの最後の口上の場面が凄い。観客に見られている感覚の中で演説する凄さ。
生涯、先生にはならなかった平さんですが、若者たちに教えて欲しかったな、と思います。プロデューサーとしては土下座してでもお願いしたかったです。
 
 

★石橋 正次(乳母・初演)

 
-2012年の『王女メディア』の旅で想い出に残っていることをお教えください。
 
 体調管理が大変だっただろうな~と思います。
劇場にはボロボロで入ってきて、舞台でお会いすると、「嘘でしょ、あれは」というぐらいのパワーで。あれには驚きました。
食事に誘ってくださり、知りたいことをいろいろ教えてくださったり。箸にも棒にも掛からない僕の演技を、何も言わないで5ヶ月間我慢してくれたことには感謝ですね。僕だったら一言くらい言ってしまうでしょう。何も言われないということは怖いですよ。
先日、『剣客商売』を拝見していて、思い出していました。亡くなった感じがしなくて、また会いたいな~と思います。まだまだ新しいものもできたし、残念です。
 
 

★町田 英子(石橋正次マネージャー)

 
-平さんを「凄い!」と感じたのは、どんな時でしたか?
 
 メディアが子供を殺す演技の迫力にびっくりしました。やっぱりこの方は天才なんだな、と。男であそこまでの女の心情を演技できるなんて。日本の演劇界でもっともっと頑張って欲しかったです。
あの優しい笑顔の平さんが、舞台に立つとあそこまで変われることが素晴らしいと思います。
 
 

★高橋 巖(音響プランナー)

 
-『王女メディア』で、番印象的な場面をお教えください。
 
 2012年の初演は、初日が世田谷パブリックシアターでした。舞台稽古の30分前に平さんにご挨拶に行ったら、「僕疲れちゃって、階段上がるのも嫌になっちゃった。」って。でも、舞台が始まったら素晴らしい迫力で、僕は仕事を忘れて観て、聴いていました。普通ではない迫力で、神がかっていた。
『クレシダ』でのラストの演技も忘れられません。今思えば嫌な予感がしたくらい、平さんが本当に昇天してしまうような予感がしました。まさか本当になろうとは・・・びっくりしました。
 
 「幹の会」の音響をやって欲しい、と平さんが事務所に来た時は驚いたし、射竦まされた感じでした。仕事に関しても、「自分で感づきなさいよ」。ダメなんか出さない人なんだよね。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 素敵な人ですね。計り知れない。僕の中では平さんは亡くなったとは思っていない。他の所に行って仕事しているんだろう。亡くなってはいないし、消えない。また舞台で一緒になれるような気がする。
もっといろいろなことを聞きたかったな~。だから僕の中では平さんは死んでいません。亡くなっていません!生きています!続きます!
 
 

★城戸 智行(音響オペレーター)

 
-平さんとの印象的な場面をお教えください
 
 2012年の『王女メディア』の初演の時、声が出ないと仰った時にはどうしようかと思いました。平さんは、いつもの自分の中で出したい音、音域が出せない、理想の声が出ないというジレンマがあったんでしょうね。でも、舞台に立つと他の人より出ました。あの公演ではお酒やめたんですよね。
 
-平さんを「怖い!」と感じたことはありましたか?
 
 芝居に対して前向きだから、厳しい言葉も出ますよね。でも音に対しては言われませんでしたね。今、改めて考えても、「憧れの平さん」は凄いな、という思いしかないですね。
 
 

★窪田 由紀(衣裳本番進行・再演)

 
-今、振り返って、『王女メディア』の旅で印象的な場面をお教えください。
 
 水戸公演の大千秋楽のカーテンコールで、お客さんから「平さん日本一!」との声がかかったのですが、楽屋に帰っていらして一番に「日本一じゃないよな。世界一!だろ」と、笑いながらおしゃっていた、お茶目な笑顔がとても印象的でした。
 
-平さんを「凄い!」と思ったのはどんな時でしたか?
 
 引継ぎで初めて舞台を観劇させていただいた時、平さんの声が別格だったこと。
観劇後、楽屋にお邪魔した際にお目にかかった平さんは、決して膝の状態がよいとは言えない様子であったにも関わらず、舞台上ではその姿を微塵も感じさせない、妖艶で凄みのある通る声、立ち振舞いに、本当に凄い方なのだと思いました。
 
―今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか? 
 
 厳しくもあたたかい方ですね。私は旅の終盤での引継ぎだったので、淡々とされていることが怖く思う面もありましたが、こうして今でも『王女メディア』で出会った方々とのご縁が繋がっているのは、平さんのお人柄なくしては叶わなかったことだと思っています。
 
 

★若松 武史(女たちの頭)

 
-今、振り返って、『王女メディア』の旅で、印象的な場面をお教えください。また、役者としての「凄さ」を感じたのはどのような時でしたか。
 
 僕の顔を見て、「お前メイク濃すぎる」って言葉ではなく顔でダメ出しされたんだよね。「何、それ~!」って。顔と態度で解る、顔大きいし。僕にはダメ出しはあまりしない人だったんだよね。
空間を勘で感じる能力の凄さ、怖さを感じる。台詞は同じこと言っているんだけれど、空気がザワッて変わる。そういうセンスを平さんは持っている。僕は一瞬ゾクッとする。
 
―同じ「役者」さんとして、平さんをどのようにご覧になっていましたか?
 
 芝居を良くするためなら何でもする。その構成を壊すようなことをすると怒る。全ては芝居のためで、本番さえしっかりやればよくて、その時間のために生きる。平さんは節制していたけれどね。
違うエネルギーが入ってくると変身する。だからズーンと自分の胸に入ってこないと平さんは怒るわけよ。
平さんは常に本気だった。真剣、魂が入っている芝居をしていた。
お客さんは巧い人を見たいのではなく、身体が新鮮な人を見たいんだよね。身体がいかに新鮮かが大切なんだよね。
ほとんどの人は昨日やった通りにやっている。それがいけない。ちょっと壊したりするとガラッと変わったりする。それが平幹二朗のエロティシズムだね。
平さんの芝居で、前の200回と全然違うなと感じたのは最後の千秋楽。平幹二朗にしか出来ない達成感があったよね。周りは平幹のためだったら出来る、という一体感。だから僕にも達成感はあったよ。
毎日真剣だった。まだ出来たのにね。
 
-一周忌を迎えて、平さんに改めて贈る言葉があれば何か一言いただけませんか。
 
 「あなたは永遠の美しいマゾです。」です。憧れの平さんは凄いな、という思いしかない。
 
 

★キミホ・ハルバート(振付)

 
-平さんとのやり取りなど個人的に印象に残っている場面がありましたらお教えください。
 
 個人的に私がドキドキした印象に残っている場面は、やはり平さんに振付をさせていただいたことです。『王女メディア』の中で、赤い布をどう扱うか何度も私が先に試して、その結果をお見せして、初めてやっていただいた時が一番印象に残っています。一度見ただけで平さんはすぐにその空気感を飲み込んでくださり、それにプラスしてやって見せてくださった時。
 
-平さんを「怖い!」、あるいは「凄い!」と思ったのはどんな瞬間でしたか?
 
 正直「怖い!」と感じたことはあまりありません。
厳しいなあ。でもそれも大きな愛なんだなあと感じた時は何度かありました。他のキャストの方に「何がやりたいのかわからない!」と厳しくおっしゃった時。私は思わずそのキャストのフォローをしようとしてしまったけど、そこで平さんは「甘やかさないで!」と。私の方の反省でした。私も同じように仲間に出来たらいいなあと感じました。
 
 「凄い!!」はたくさんありすぎですし、皆さんの方が良くわかっていらっしゃると思います。でもあの日々のリハーサルの中でまっすぐ作品に向き合う平さんの姿は本当に素晴らしいと思いました。その上あの数多い舞台をこなしたお方ですから…
 
-ご自分の職分に関して平さんから何か「ご注文」が出ましたか? その中で印象に残っていることをお教えください。
 
 注文はなかったですが、毎回最後の斜めをどう歩くか、何度もお話しさせていただきました。平さんはご自分がゆっくり伸ばしすぎなのではないかと気になさっていて。でもそんなことは全くなくて。こちらとしてはもっともっと見ていたいと思っていたのです。舞台人としてはこの一瞬の間がとても難しいこと。私もいつも迷うところだから共感できたというのでしょうか。私などがえらそうに言えないですが。
 
-今、改めて、「平幹二朗」という役者をどのように感じておられますか?
 
 やはり平さんがもういらっしゃらないことがまだ信じられないです。もともと雲の上の方でしたから…。
舞台をご一緒したことで、少しだけ近くでご縁を感じさせていただけたことが幸せでした。もっともっとたくさんの舞台でご一緒したかったです。でも、平さんはまた雲の上へと戻られたのかな…。
 
 

★清水 麻理子(音響オペーレーター)

 
-平さんとの印象的な場面をお教えください
 
 2012年の『王女メディア』の初演で、旅の食事の時、平さんが部屋から持ってきたポートワインを皆で少しずつ分けあって飲んだこと。
2014年の再演の千秋楽の公演が終わった時に「今日は解禁だー!」と言っていい顔をして飲んでいたこと。
 
-平さんを「凄い!」と思った瞬間は?
 
 「平さん、今日は出たくないって言ってるよ。」と聞いた日も、舞台に出た平さんは微塵も感じさせない演技をしていました。体調悪くても悪いと感じさせない、膝が痛くても痛いと感じさせない。
ボソボソと台詞を言っても、声は客席全部に聞こえる、そんな役者さんはいません。皆に伝えようと思って喋っているからですね。
平さんのような役者さんには二度と会えないんだなと思います。
 
 

★佐藤 貴子(照明オペレーター)

 
-今、振り返って、『王女メディア』の旅で、印象的な場面をお教えください
 
 いつも『メディア』は途中参加でした。最初にご挨拶に行くと「おう!来たか!」「また呑み過ぎんなよ」と言われて。覚えていてくださったのが凄く嬉しくて。旅の途中でも「呑んでるか!?」「食べ過ぎるなよ!」「飲み過ぎるなよ!」と、ご自身も辛いのに声をかけてくれる。
 
-平さんを「凄い!」と思ったのはどんな瞬間でしたか?
 
 演じている平さん。どんどん怒りを爆発させていくところ、女の情念の表現が怖い。すべてが終わって、悲しげな立ち姿と振る舞いだけで見せる。男性なのになぜ?という感じ。それでも許せなかった……という、最後のシーンのピンスポットを消して行く時のメディアのオーラは凄い。
芝居では怖い!凄い!はいつも感じていましたね。そういう役者さんは、平さんしかいません。
 
 

秋山:皆さんの気持ちが、「平さん」を中心に一つにまとまった「偲ぶ会」になりました。平幹二朗さんは、こうして多くの方々の心の中に、いつまでも、いろいろな想い出と共に生き続けるのでしょうね。「舞台俳優」としても、「人間」としても、類まれな方だったのだな、と改めて感じた一夕でした。

(構成・文責:中村 義裕)

  

平幹二朗の「今」
中村 義裕(演劇評論家)

 
 「忽然と」との言葉通り、平幹二朗が我々の前から姿を消してしまってから、早くも一年が過ぎた。
このHPの作成や構成の一部のお手伝いをさせていただいているので、何となく関わりを持ちながらも、もう「平さん」と本人に呼び掛けることはできない。
 
 平幹二朗という役者を批評家の眼で観れば、終わったことには拘泥せずに、常に次にするべき新しい「何か」を求め、研究していた日々のように思う。
ストイックなまでに自分を追い込み、そこから暴発するエネルギーが芝居の重量感を増していたのは事実だ。
そんな生涯を送った役者が、天国でふわふわと漂っているようには到底思えない。
まだ、我々の周りで「なってないな…」という眼で見ているのではないか、と思うことがある。
少なくも、私は平幹二朗を「想い出す」ことはない。
「忘れないから想い出さない」。
昔の人は巧い事を言ったものだ。
しかし、その耳元で悪魔のような微笑みを浮かべて、「もう忘れなさい」という平幹二朗がいるような気もしてならないのだ。

(了)

 

一周忌に想う★平さんが残してくれたもの
 
幹の会+リリック  秋山 佐和子

 
 平さんの一周忌。『王女メディア』のメンバーたちと平さんのお墓参り、偲ぶ会の時を過ごした。
みんなが口を揃えて言う。
平さんの一周忌がこんなにも早くやってくるなんて。
亡くなったことさえ、まだ信じられないのに。いえ、平さんはまだ生きている。
 そう、みんなの心の中に平さんはまだ生きているのだ。これからもずっと生き続けるに違いない。
平さんの芝居を愛している限り。
 
 今回の一周忌の集まりは、今まで幹の会に関わったすべての人たちに声をかけたい気持ちで一杯だったが、人数の都合などもあり、幹の会の最後の公演となった『王女メディア』の人たちに声をかけることになった。
 平さんは幹の会に関わったすべての人たちに会いたかったはずだ。
平さんのダメ出しが聞こえる。平さん、ごめんなさい。
 
 『王女メディア・一世一代ふたたび』の初日を思い出す。
 平さんは今まで幹の会に参加してくれたキャスト、スタッフと幹の会の関係者を初日観劇と初日パーティに御招待しようと言った。
 これまで幹の会に関わった人たち、皆さんのおかげで『王女メディア・一世一代ふたたび』の初日を迎えることができた、その舞台を是非観て欲しい、そして仲間たちと感謝の盃を交わしたい、という平さんの気持ちが痛いほど伝わってきた。
 平さんは感謝の気持ちを忘れない人だった。
人の気持ちを大切にする人だった。
そして人の嬉しそうな顔を見るのが大好きだった。
だから、みんなから慕われるのだ。
 人の縁を作る人なのだ。
 平さんが私たちに残してくれたもの、それは平さんの芝居魂を琴線とした絆なんだと今回しみじみ感じた。平さんの芝居魂が絆となり、みんなを繋いでいるのだ。
 次は『王女メディア・一世一代ふたたび』の初日のように、幹の会に関わった人たちに、そして平さんを応援し続けてくださった人たちに、皆さんに集まっていただきたいと思う。
 楽屋から笑顔の平さんが、ふたたび登場する。