幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

第7回 楽屋での平さん


 平さんの舞台に賭ける気迫、それが準備時間に比例するのだろう。
この日は、平さんと同じ時刻に楽屋入りし、幕の裏側での様子を追いかけた。
 
・3:30 楽屋入り
 
開演までまだ3時間ある。
今回の『王 女メディア』の上演時間が2時間なのに、それよりも長い時間を準備に充てる計算だ。移動の連続で場所は変わっても、動きを共にするメンバーが変わらない安心感があるのだろう。
平さんは元気に、穏やかに楽屋で微笑んでいる。廊下や舞台では、スタッフが時折笑顔を見せながら、仕事を手早く進めている。
作業には慣れてはいても、感情的には狎れてはいないところが、いつも新鮮な舞台の秘訣かもしれない。
 
・4:00~4:10 ネイル
 
 メディアは「王女」であり、メイク さんによって念入りに真っ赤なネイル ケアが施されてゆく。
ごく自然に流れ るように作業は進む。
気のせいか、平 さんの顔が楽屋入りの時よりも厳しく なってきたようだ。
 
・4:30~4:40 場当たり
 
 「場当たり」は、演劇の専門用語だ。
自分の出入りの場所やタイミング、芝居の重要なポイントなどの確認作業だ。
毎日のように演じる舞台の大きさや環境が違う地方公演では、特に大事な作業になる。
 しかし、すでに5か月近くの経験を重ねているこの一座の「場当たり」は、的確にポイントだけを押さえて確認し、その時に気になった点を直すという非常に効率的な方法だ。
 最も出番の多い平さんの動きが中心になるが、そこに関わらない人も、身体を伸ばしてストレッチに励んだり、沈思黙考発声の後に声の響きを確認する。
だんだん緊張感が高まってくるのを感じるのは私だけだろうか。
 
・5:00 テーピング
 
 舞台は肉体労働だ。
2時間の芝居の中で、100以上の台詞を言うだけではなく、いろいろな動きがあり、短時間での着替えもある。
いくら頑健な身体でも、ほとんど休みなしに公演を重ねていれば疲労は蓄積する。
しかし、「今日のお客様は今日限り」で、できうる限りの最高の舞台を見せなくてはならない。
そのために、人に見えないところで多くの努力が行われているが、「テーピング」もその一つだ。
 スポーツ選手が筋肉に余計な負担を掛けないように、あるいは疲労を少なくするために行うテーピングと、平さんのテーピングは全く同じ意味を持つ。
これからの舞台を万全なものにするための準備であり、重要な身体のケアでもある。
 
 そんな光景を見せていただくことに、いささかの緊張感を覚えながら楽屋へ行くと、平さんは若いスタッフと談笑している。
 「僕は『ぜんざい』に目がなくってね。
新宿などでも買い物の途中でつい、入っちゃうんですよ。
今日も、出前をしてくれる店があると聞いたので、それを食べてからにしましょう」と。お椀をフーフー吹きながら、しばしお汁粉談義に花が咲く。その後、テーピングが始まった。足首を中心に手さばき良く巻かれるテープは、腿の辺りまで伸びている。
戦場へ赴く兵士の身支度を見るようだ。手慣れた女性の作業は、15分足らずで平さんの足をテーピングしてしまった。こうした多くの見えない作業が、舞台を支えているのだ。
 
・5:30 メイク開始
 
 いよいよ、『メディア』のメイク開始である。
今年30歳、という藤原さんが、メイクの担当だ。
 「ふつうは自分でしますが、メディアは女性でしょ。自分で女性のメイクをすると、『もう少し』『もう一筋』とやっている間に、怖くなっちゃうんですよ」と平さんが笑わせる。
 
 楽屋の扉を閉め、平さん、メイクの藤原さんと三人だけになる。
平さんはとてもリラックスした表情だが、藤原さんと私には緊張感が張り詰めている。
藤原さんは手早く、かつ慎重に鏡と平さんを見ながらメイクを進めている。
予想外のナチュラルな薄いメイクに驚き、様子を見ている時に、ふと疑問が湧いた。
 
 「役者さんにより、役によりケースはさまざまですが、今回の場合、平さんはどの段階でメディアになるのですか?」。
平さんは、「メイクがすんだらお答えします」と。
私にも「予想」が浮かんだものの、見当違いだと恥ずかしいので黙っておくことにし、またメイクの過程に見入った。
藤原さんは、芸術作品を扱うような愛おしさを込めて、平さんの顔にメイクを施しているようだ。
「ここはどうしますか?」などの会話もほとんどなく、平さんは全幅の信頼を置いて、藤原さんに身を委ねている。
二人の間に言葉は必要ないのだろう。
最初はあったのかも知れないが、お互いのポイントを呑み込み、イキが合った瞬間から会話はいらなくなったのではないだろうか。
藤原さんが時折流れる汗を拭いつつ、一心不乱にメイクに専念すること約30分。
最後に紅を引いた瞬間、鏡の中にまさしく『王女メディア』がいた。
 
 平さんはくるりとこちらを向くと、「さっきのご質問ですが、この瞬間です」と微笑んだ。
予想していた答えが正解だったことに安心したが、わずか30分で婉然と微笑むメディアができあがるのは、魔法のようだ。
尤も、平さんは己が肉体で、これから何百人という観客に魔法を掛けるのだ。
ふと時計を見ると、6:00。開場の時間だ。観客席へ回ることにする。
 
6:00 ロビー
 
 築40年を超えるという八戸公会堂は、立派なホールだ。収容人員は1,040名。今日のお客さんは約500名ほどだろうか。どこの地方でも、平日の夜の公演は集客がしにくい。地方だけではなく東京でも同じ現象が起きていることを思うと、演劇人の一人として今後の演劇界の進むべき方向の難しさを感じる。しかし、八戸のお客さんはとてもいい観客だ。
 
朗々と響き渡る平さんの台詞に身を任せている間に、あっと言う間に二時間の舞台が終わった。
しかし、それでもまた新しい発見がある。
 


 
楽屋で大好きな『ぜんざい』に舌鼓を打つ平さん。出陣前の和やかなひと時である。
 

 
わずか20分前とは表情が違う。もう平さんの中に、メディアが降臨し始めたのだろうか…