幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

第14回【最後に】


ここまで「旅日記」を書いたものの、平さんについて多くを語れるほどの対話の時間があったわけではない。
しかし、40年近く芝居を観てきた中で、ずいぶん多くの平幹二朗の舞台を観て来た。
その中で、最期になって、こうした経験が持てたことになる。
時と場合によるが、対話は長さではなく密度が重要なこともある。
この旅の間に、「平幹二朗の覚悟」を私なりに感じ取れた、と自惚れてもよいだろう。
「旅日記」のために、僅かではあったが平さんとの濃厚な時間が持て、突っ込んだ芝居の話ができたことは批評家としての幸福であり、何度も『王女メディア』の舞台に触れられたことは観客としての幸福でもある。
 
 千秋楽を終え、東京で一本の舞台を終えた後、10月22日に平さんは忽然と姿を消した。
私にとっては、『王女メディア』の千秋楽が、平幹二朗の最期の姿となった。
平さんの中に「『王女メディア』と言えば平幹二朗」という願望がなかったと言えば嘘になるだろう。
役者が当たり役、と呼ばれるものを一つでも持てることは稀有とも言える幸せだ。
多くの舞台を踏んでいても、必ず巡り合えるものではないからだ。しかし、平さんの『王女メディア』を凌駕するものは、出て来る予感がしない。
 
「平幹二朗という役者は、『王女メディア』のために殉死することを願っていたのではないか。
そして、その通りになった。こんなことができるのは、平幹二朗しかいない」。
 

この言葉で、私の物書きとしての『王女メディア』、そして平幹二朗に対して、ようやく初日が出たような気がしている。
 

(了)