幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

「平さんを偲ぶ会」出席の記

 

演劇評論家 中村義裕

 

「平さんが微笑んでいた」

 

 2019年10月23日、平幹二朗さんの三回目の命日の翌日。指定されたお店へ着いたら、会場のテーブルで、平さんが微笑んでいた。写真は、「幹の会+リリック」での最後の公演となり、平さんが最も大切にしていた『王女メディア』の折に、新聞社が撮影したものだ。
 「やぁ、久しぶり」と語りかけてきそうな満面の穏やかな笑みが戻ってくることはないが、亡くなって三年という歳月が一瞬のような、途轍もなく長い時間だったかのような感覚になった。
 
 今日、集まったメンバーは総勢18人。平さんの「最後の旅」になった『王女メディア』にかかわった人たちだ。俳優、美術プランナー、衣裳プランナー、舞台監督、舞台監督助手、照明操作、ヘアメイク進行、旅の荷物の輸送、宣伝美術、俳優のマネージャー、プロデューサーと、公演期間でもないのにこれほどの各職分の皆さんが顔を揃える機会にはあまり出くわしたことがない。これで、平さんが遅れて登場でもしようものなら、拍手喝采で旅公演先での食事会、にも見えそうな雰囲気だ。
 
まずは、「幹の会+リリック」のシンボリックな存在の、プロデューサーの秋山佐和子さんの挨拶。
 
 
秋山佐和子
 
「平さんのことが大好きだった『王女メディア』のキャスト・スタッフの皆さんがこうして大勢集まって、平さんの想い出を語り合う時間が持てたことを嬉しく思います。
平さんもあの笑顔で喜んでくださっていると思います。
平さんが亡くなって三年が経ちましたけれど、時が経つにつれて、平さんという役者は他に類を見ない素晴らしい役者だったことを改めて思い知っています。
平さんが遺してくれたものが、それぞれ皆さんにとってあまりにも大きかったから、こうして皆さん集まりたくなるんですよね。
ホームページを読んでくださる読者の皆さんにも、平さんという名優の素顔を少しでも知っていただきたいし、平さんを知らない新しい世代の若者たちにも伝えていきたいと思います。
今晩は旅の食事会のように平さんを囲んで楽しい時間を皆で過ごしましょう。
『平さんの微笑みに献杯!』」
 
 今日は「平さんを偲ぶ会」であり、ご本人がこの場にいないのは当然だが、今にも「お待たせ!」とあの声で現れそうだね、とは皆さんの言葉。亡くなって三年経っても、想いは変わらないようだ。
 
 今日の会場は赤坂見附の『うまや』。歌舞伎俳優の二代目市川猿翁(いちかわ・えんおう)がプロデュースした店だ。会の主旨を知ったオーナーの藤間文彦さんは、女優の藤間紫さんのご子息で、かつては芝居のプロデューサー、しかも平さんがパルコ劇場で演じた『俊寛』では制作だったとのこと。「私も縁を感じますので」と、献杯用に美味しい日本酒を一升差し入れてくださった。
 
 平さんに盃を捧げ、皆さんの顔もほぐれ、座が盛り上がり始めた。
 みんなが同じ舞台を創ったメンバーだけあって、話が弾んでいる。舞台の表に出ていた方も、裏で支えていた方も、楽しそうに当時の想い出を語っている。「同じ釜の飯を食った仲間」という言葉が相応しいアットホームな会だ。厳しい舞台を演じ終わった後、旅先でみんなと過ごすこの時間は、平さんにとっても極上の時間だったのだろう。「食通」とも違う「食い道楽」のような味覚の鋭さを持つ平さんは、「美味しい物」が大好きだった。
 
 誰もが、料理に酒にお喋りに、とだんだん忙しくなってきた。平さんを偲ぶ会、の在り方としては、これが一番まっとうで、平さんが望んでいた会ではなかろうか。
 

 
「皆さんから一言」

 
 参加者の方々に加え、私が正気でいる間に、皆さんから平さんの想い出を一言ずつ伺うのが私の今日の最大の任務だ。みんなと一緒に芝居話に興じる楽しみを振り払い、順不同でコメントをいただくことにする。
 その前に、私から「あえて」お願いをした。
今日は、「平さんは偉大なる名優だった」という当然の話は抜きにして、なるべく平さんの「人間くささ」を感じられるようなコメントをください、と。お願いに応えてくださった皆さんの気持ちをご紹介しよう。
 
秋山佐和子(プロデューサー)
 
「初演の『王女のメディア』の時のことです。稽古場での最終稽古の前日、平さんの声が突然出なくなったんです。お医者さんから「ポリープができているから絶対安静に」という指示が出て、公演は初日延期ということになったんです。
稽古場の最終稽古は平さんのパントマイムとプロンプターの台詞での稽古でした。これは前代未聞の稽古でしたね。
ところが、平さんの回復力は途轍もなく早くて、薬と吸入で声が出るようになってきて。
翌々日、とりあえずの劇場仕込みの最中に、病院でポリープの経過を見てもらっている平さんから電話が入ったんです。「奇跡が起きたよ!ポリープが消えたんだよ!」って。この時の平さんの声は、私が聞いた平さんの声の中で最高の驚喜の声でしたね。あの声は忘れません。
お医者さんも強靭な平さんの喉に驚いていました。「とても80才になろうとする人の喉ではありません」って。
平さんは若い頃から、どれだけ喉を鍛えて来られたんでしょうね。
いつだったか「肺癌になってからの方が声が響くんだよね」って。この言葉も忘れられない言葉ですね。肺の部分切除の手術だったそうなんですけれど、手術後からずっと長い間、どれだけリハビリを積み重ねたんでしょうね。平さんは本当に涙が出るほどの努力家でした。
どの世界でも一流の人って、その仕事しかしていないんですね。芝居なら芝居のことしか考えない。芝居のために生きている。だからこそ、「一流」になれるんでしょうね。「好きこそものの上手なれ」ですね」

 
 

 
山本利一(宣伝美術)
 
「平さんのことで印象的なのは、年賀状を頼まれて、表参道のスパイラル・ビルのカフェで打ち合わせをした時のことですね。平さんはその時、スポーツジムの帰りで、開口一番、『君、姿勢が悪いね』って。それで、ドリンクのオーダーにシャンパンを頼んで、一気に飲み干したんですが、その恰好がスタイリッシュで。何もしなくてもあの体格とあの声で目立ちますから、回りの人からも「おぉ~」っていう声が上がったのを鮮烈に覚えています。もう20年以上前ですが、カッコいい人でした」
 
太田雅公(衣裳プランナー)
 
「衣裳のことで関わらせていただきました。出演者の中で、平さんと麻実れいさんだけは、『いくら重くても大丈夫』とおっしゃっていたのが印象的でしたね。平さんは、78歳ぐらいの頃でしたか、「もたつくといけないので、足さばきを軽く整理できるようにしてください」とリクエストをされましたが、客席からの見え方のためには、肉体的な負担を厭わない方でしたね」
 
吉田ひとみ(舞台監督助手)
 
「『王女メディア』の再演の稽古の時に、「稽古用のかつらを用意してください」と言われて、少し驚いたことがあるんです。ベールを被っていますし、予算の問題もありますしね。プロデューサーの秋山さんと「どうしようか」と悩んでいたら、平さんがニットの帽子の中に新聞紙を詰めて、大きな頭になったのを用意していらしたんですね。それで、私たちが後で用意したんですが、そういうものも自分で用意できるのが凄いな、と思いましたね」
 
廣田高志(キャスト)
 
「ご自宅の稽古で、必ず3時には、「今日は××のチョコレート・ケーキだよ」と甘い物を用意してくださって、稽古が終わると、白のワインが冷えてて「これを呑んだら飯を食いに行こう」って声をかけていただいたことを想い出すと、もう泣きそうです」
 
伊勢尚子(照明操作)
 
「平さんからは「伊勢エビ」って呼ばれていました。「伊勢エビ、おはよう」って。これは『幹の会』ではないんですが、銀河劇場で平さんのお芝居があって、観に行ったことがあるんですよ。ちょうど、バレンタインデーに近かったので、可愛らしいな、と思って、終演後にハート型のお煎餅を楽屋でお渡ししたら、その瞬間に『ハッ、義理ね』っておっしゃった茶目っ気が忘れられません。そんな平さんが大好きでした」
 

桜井香(照明操作)
 
「私がご一緒した時間はそう長くはないんですが、旅公演のホテルでの朝食時間が一緒になることが多くて。大体8時頃なんですけど、いつも平さんはお一人で背筋をピンと伸ばしてすごくカッコよく食事をしていらして。私も真似をしてたんですけれど、すぐに元に戻っちゃうんですよね。そういう、普段の姿からカッコいいんだなぁ、って」
 
松山郁人(照明操作)
 
「平さんとは7本か8本かご一緒させていただいたんですが、九州だったかなぁ、スタッフもキャストも一緒に食事をする機会があったんですよ。その旅では、平さんがいつも呑むワインをご自分で持っておられたんですが、その食事会が盛り上がって、いったんご自分の部屋へ戻って、お気に入りのワインを持って来てくださったことがありました。平さんも我々もすごく楽しかったです」
 
石井義一(輸送)
 
「私はトラックで大道具などの荷物を運んでいましたので、平さんと交わる機会はなかなかありませんでしたが、必ず『気を付けて行ってくださいね』と声を掛けてくださいました。それは、最初からそれは変わりませんでしたね。最初からご一緒ですから、トータルで何万キロ走ったかわからないですね。それこそ、地球何周分、でしょうね(笑)。トラックには必ずその時の芝居の平さんの顔が描いてある看板を貼っていたんですが、一度だけ貼っていないことがあって、『今年は貼ってないのかなぁ』って淋しそうにおっしゃったことがあって、名古屋かどっかで慌てて貼ったのも、いい想い出ですね」
 
遠山直樹(ヘアメイク進行)
 
「僕がご一緒してたのは初演ですが、その時が舞台の仕事は初めてで、平さんにはずいぶんご迷惑をおかけしましたし、不手際もあったと思うんですが、いろいろなアドバイスをいただいて助けられました。「かつら」は、少しのズレで痛くなってしまうことがありますから。
『王女メディア』の舞台の通し稽古で、観客席に関係者が観ていた時に、「頭が痛くてもう続けられない」と言われて、稽古を辞めてしまわれた時は青ざめましたね。
旅の途中で一生懸命やっていることをわかってくださって、食事に誘ってくださったり。忘れられない仕事ですね」
 
麻生かほり(制作)
 
「私は『リア王』の旅の途中から入って、その時の旅は、前の方が作ってくれた、その日の宿泊先やスケジュールなどの情報をまとめた「旅手帳」を元にしてやったので、それほどの苦労はなくて、むしろ楽しかったんですけれど、『オセロー』の時からは自分で「旅手帳」を作るようになって、間違いだらけで平さんにこっぴどく叱られたのを覚えています。
朝、出迎えに行った時に謝ったら、「ちゃんとしてよね」って叱られて。それ以降は、直接叱ってくださるようになって、平さんとの距離が少し近付いた感じが嬉しかったですね。でも、その後、必ず可愛らしいフォローを入れてくれて、とても気を遣ってくださっているんですよね。
どんなに叱られても、舞台を観ると全部が帳消しになって、「あぁ、こんな凄い芝居をする人と一緒に仕事をしているんだな。私が至らないんだ」と痛切に感じましたね」
 

山下厚(照明操作)
 
「平さんとの長いお付き合いの中で、役者とスタッフの壁がなくなったなぁと感じたのは『リア王』でした。東京よりも、やはり地方での旅公演だと一体感も強くなって、みんなそれぞれに悩みや何かを相談したりすることがあるんですよ。『リア王』は8か月の旅でしたし、その長い期間の中で、いろいろな話をするうちに、役者とスタッフの壁がだんだんになくなって、一つの舞台を創る「仲間」になれたのは良かったですね。よく呑みましたし、「ファミリー」なんだけれど、なぁなぁじゃないんですよ、そこが良かったですね。
毎日、劇場へニコニコしながら来るお客さんの前で光る平さんたちに照明を当てて、今日はこのお客さんたちのために頑張ろうと思えて、それが嬉しかったですね。平さんが亡くなったのは寂しいですが、一緒に仕事をできたのは『財産』でしたね」
 
佐藤貴子(照明操作)
 
「私が入ったのは『冬のライオン』からでしたけれど、役者とスタッフが同じ杯を交わして話ができるのが『幹の会』のいいところですね。仕事のクオリティに妥協がないところは勉強になりました。
舞台ではすごいけれど、呑みに行くと気遣って声を掛けてくださるので、こっちも酔った勢いでいろいろ話して、だんだん人間関係ができて、『メディア』辺りから、自分もカンパニーに入れたんだなぁと感じられたのは嬉しかったですね。
我々照明スタッフは、役者さんとの距離が一番遠いんですが、他のキャストの方々も声を掛けてくださって、他では「照明さん」って呼ばれるのに、名前を呼んでくれたのが嬉しかったです」写真
 
井川学(舞台監督)
 
「最初は口も利いてもらえなかったし、名前も覚えてくれませんでした。開演前に「30分前です」と楽屋へ時間を告げに行くのも大事な仕事なんですよ。「今日はやる気ないんだけど…」なんて言われて(笑)。15分前にもう一度行って、「15分前ですけど、やる気出ましたか?」って。最後は開演5分前に「幕を開けますよ」という意味の知らせに行くと、「トイレ」って言われたりして(笑)。
別の日には、30分前に「待ってました!」って。必ず何か違うリアクションが返って来て、それが開演前のコミュニケーションで楽しかったですね」
 
中村義裕
 
「幕が開く一番寸前の平さんの素顔をご存じなんですね」
 
伊藤雅子(美術プランナー)
 
「私が『幹の会』でご一緒したのは『王女メディア』だけですが、演出家からいろいろな考えが伝わってくるのですが、メディアの時は思い切り段差のある装置にしてしまって。後から平さんの足がかなりキツイと伺って。でも、幕切れ近くに登る場所は、かなりの段差があるんですが、平さんは凄く頑張ってくださいましたね。そういう姿を観て、本当に感動して、演劇人でよかったなぁ、と思いました。舞台に象徴的に飾られている女神像についても、「僕はこう思うんだ」というのを、熱心に語ってくださったのは忘れられませんね」
 
中村義裕
 
「毎回、この段差をどう上るか、装置とも闘っていたのでしょうね」
 
町田英子(石橋正次マネージャー)
 
「何人かの所属俳優が平さんの舞台に出演させていただきました。榛名由梨がどうしても出たいというので、何度もお願いしましたら『オセロー』でなかなか役がない中を考えてくださって、今までにない場面を創ってくださりとても嬉しかったですね。石橋も『王女メディア』に出演させていただきました」
 

三浦浩一(キャスト)
 
「今日は素晴らしい偲ぶ会ですね。平さんがどれほど素敵な俳優さんだったか。スタッフとキャストがこれだけ集まって、最高の会ですよ。
平さんとはNHKの時代劇などでもご一緒しましたけれど、リハーサルの時に膨大な台詞を必死に思い出しながら、台本を一切見ないでやっていたのが最初の出会いで、そこで俳優魂を感じました。
それ以降、何度もご一緒しましたが、「幹の会」では『冬のライオン』で声を掛けてくださって。それまでに何度もご一緒した中で何かを感じてくださったんでしょうが、それがあったからこそ、僕も成長できたんですね。
平さんはパンと果物が好きで、旅の移動で駅に向かう途中でパンやフルーツを探しに行く時の姿は、とてもチャーミングでしたよ。いつだったか、経堂の喫茶店でお茶を飲んで外へ出たら、後ろから「三浦さ~ん」って平さんが自転車で颯爽と現れてね。「後ろ姿で分かりましたよ」って。何気ないことかもしれないけれど、それも嬉しかったなぁ。」
 
秋山佐和子
 
「平さんは初日や打上げのパーティー、旅公演での食事会でもそうでしたが、「中締め」って好きじゃないんですよね。形式的な事が嫌いで。だから初日前のお祓いも嫌いで、「幹の会」ではやりませんでした。
お店はまだ大丈夫ですので、お時間の許す方は、まだまだ想い出話に花を咲かせてください。
また来年も、こうした会を催して、私を含めて皆さんが新しいステージに進んでいるのを、平さんにご報告できるようにしたいと思います」
 
 秋山さんの挨拶をきっかけに、仕事や帰宅の関係で席を立つ方もいたが、最後の方が席を立ったのは、会が始まって5時間半後、閉店間際だった。
 
「楽しそうにやってくれて、ありがとう」店を出る瞬間、平さんがそう言ったような気がした。
 

 
(中村 義裕 記)