聞き手:中村 義裕(演劇評論家)
第四回「我が麗わしのロクサアヌ」
剣 幸さん(女優)
このコーナーは、平さんとゆかりの深かった方々に、さまざまな想い出をお話いただくコーナーです。
−剣さんは富山県のご出身と伺いました。女優になろうと思ったきっかけをお聞かせください。
剣:宝塚歌劇団に入る前は、工業高校に通っていました。「インテリアデザイナーのような仕事ができるのかな…」と思っていたのですが、精密部品の製図を引いたりして、思っていたことと全然違ったのと、子供の頃から好きだった身体を動かすことや、音楽の授業がなかったんです。それで演劇部へ入って、最終的にこれからの仕事を考えて、宝塚を受けたという、不純な動機なんですよ(笑)。
三年間まったく音楽の勉強をしていなかったのに、宝塚「音楽」学校を受けたんですから、無茶ですよね。試験の時に、審査員の先生が本当に椅子からずり落ちちゃうくらいに、歌えなかった(笑)。そんな調子でしたから「これは落ちた」と思っていました。
二次試験が終わって、次の日の十二時に発表なのですが、あまりに声楽の出来が悪かったので、食事をしてそのまま帰るつもりだったんです。母にも「発表は見ないで、ご飯だけ食べて帰る」と言って食事をしていたのですが、母が「もしかしたら…」と見に行ったら、私の番号があったと、転がるように帰って来ました。私も慌てて見に行ったら、もう合格者の番号を書いた紙が剥がされていて、合格した人は講堂で今後の説明を受けていました。ちょうど、後ろの席が空いていたので、そこへかけたのですが、椅子は成績順に並んでいたんです(笑)。でも、母が見に行かなかったら、入学を放棄して帰ってしまうところだったんです。
そんな、自分が行けるはずもないところの扉を開けてくれた宝塚には感謝していますね。それまでお稽古事もしたことがなかったので、10科目以上ある授業のすべてが新鮮でしたね。宝塚へ入るために、声楽やバレエのお稽古をしていた人は多かったんですが、琴、三味線、タップなどは、みんなもお稽古をしていたわけではないので、スタートラインが一緒なんですよ。授業で教わることが新鮮で、楽しくて仕方がなかったですね。
−剣さんの「原石」としての才能を観ておられた先生がいらっしゃったんでしょうね。
剣:どうなんでしょうか。私は、男役の中でも背が一番小さかったですし、声楽の成績も43人中43番で、42位の方との差がずいぶんあった、と後で聞かされました。
−それまで、宝塚の舞台はよくご覧になっていたんですか?
剣:いいえ。富山では生の舞台を観る機会はほとんどありませんから、映画の『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエストサイド・ストーリー』などの素敵な世界にはすごく憧れていました。高校でも演劇部に入ったのは、自分が持っていたそういうものに対する「憧れ」を表現したかったのでしょうね。高校の間は、いわゆる「高校演劇」を三年間やって、みんなで一つの物を創る楽しさも知りました。
高校一年生の時の同級生が宝塚の大ファンで、「受ける」と言っていたので、それに便乗しようかな、と思っていたら、その友達が辞めちゃったんですよ。それで、結局、私一人で受けに行って。
高校三年生の時に、進路志望を先生に聴かれた時に「宝塚を受けてみようと思うんです」って言ったら、当然まわりのみんなは反対するわけです。ただ、その先生だけが、出張の時にわざわざ私には内緒で宝塚へ相談に行ってくださったんですよ。「富山の工業高校の女子生徒で、歌の勉強もしていないんですが、受験は可能ですか」って聞いて来てくださったんです。宝塚では、「どんな人でも受けられますよ」と、願書の見本までくださって。その先生がいらっしゃらなかったら、臆してしまって受けなかったかもしれないですね。
−ドラマのワン・シーンのようですね。
剣:そうなんです。いろいろな人が関わってくださったおかげで、今、こうして芝居をしていられるんです。皆さんのおかげですね。誰か一人でも欠けたら、こうしてはいられなかったと思います。
−何かに導かれるように芝居の世界に入られたような。「芝居の神様」に選ばれてしまったのではないでしょうか。女優さんとしての歩みを拝見していると、それを感じます。平さんも、同じような感覚をお持ちだったんじゃないでしょうか。
剣:平さんに出会ったことはカルチャー・ショックでした。生き方が「すべてが芝居のため」なんですね。ご飯を食べるのも眠るのも芝居のため、身体を鍛えるために稽古場まで2時間かけて歩いていらっしゃるのも芝居のため。今まで、そういう方に出会ったことがなかったですからね。もう、芝居が「好き」とか「嫌い」というレベルのところにいらっしゃる方ではないんですよ。
たった一度だけ、岳大さんが中学生の頃に、プライベートなお話を伺ったことがありました。「久しぶりに会って、一緒に温泉に行ったんだ」って。その時に、「あぁ、平さんもお父さんなんだ」って。平さんが素の個人的な姿を見せてくれたのはその時だけでした。普段は決してそういうものを見せない方でしたが、その一瞬見せたお父さんの顔もとてもステキでした。舞台での凄さを知っているだけに、そのギャップ、インパクトが大きかったですね。
旅公演でも、ホテルの部屋がお隣だったりすると、壁越しに何かおっしゃってる声が聞こえるんですよ。何かと思うと、芝居の台詞のチェックなんです。舞台であれほどの台詞を言ったあとなのに、2時間ぐらい、そういう声が聞こえるんです。それが、時には次の芝居の台詞だったりして。
−昔からそうでいらしたようですね。でも、それを感じ取る方と、そうでない方がいらっしゃいます。平さんがそうせずにはいられない、という感覚が理解できてしまう、一緒のアンテナをお持ちなんですね。
剣:そんなこともないでしょうが、人によっては「今の芝居のことだけ考えていればいいじゃない」ということもあると思うんです。でも、平さんはそういうレベルではなく、その日一日を真剣に生きていらっしゃるから。
−私も『王女メディア』で一緒に旅をさせていただきましたが、千秋楽の帰りに「ようやく初日が出た」とおっしゃってましたからね。
剣:旅の最後の頃になると、みんな慣れてくるんですね。でも、その中で「このところ、こうしたらどうかな」って。平さんの中には、ご自分に対して100%OKを出すということがないのではないかと思います。常に明日の芝居のことを考えていらっしゃるんです。
−平さんの貪欲さ、ですね。何でも吸い込んでしまうブラック・ホールのような。
剣:2000年にご一緒した『シラノ・ド・ベルジュラック』の幕切れの有名な「修道院の場面」は、平さんとの闘いのような気がしました。「相手役にしがみついて芝居をした」という経験は、いまだかつてなかったですね。
役者同士が激しくぶつかって、その時、平さんがシラノを通してご自身の人生を垣間見ているような気がしました。その後、シラノは亡くなるわけですが、平さんは、どの芝居もそう思ってやっていらっしゃるんだな、と思いました。演じる役の傾向も悲劇的なものが多かったですからね。そういう芝居をご一緒でき、舞台の上で同様の感覚を共有できたのは役者の幸せでしたね。魂がぶつかり合って、二人で号泣しながら芝居をする、という。
―『シラノ・ド・ベルジュラック』は一人芝居で上演されることも多いですが、幕切れはロクサアヌとの芝居の駆け引きが巧く運ぶと、優れた詩情が溢れますね。
剣:それは、すべてを分っている平さんだから、させてくださったんです。普通、あの場面はシラノが朗々と語っても充分にすみますから。それを、二人がぶつかり合うことで、もっと芝居が良くなる、と思ってくださって、そういう芝居をさせてくださるんですね。
−芝居の質を高めるためであれば、ということなんですね。
剣:あの時は、芝居が終わると、とても晴れやかなお顔でしたね。でも、こんな体験は滅多にあるものではなくて、10年に一度出会えればいい方ではないでしょうか。本当に、稀な体験でした。
−稽古場での平さんは、どんな様子でしたか?
剣:完全に芝居に入り込んでいらっしゃいましたね。途中で休憩があると、みんなはそこでいったんスイッチを切り替えたるために雑談をしたりしますが、平さんはそういうことは一切されませんでした。何かを飲むのでも、気分転換ではなくて、水分補給のために摂る、という感じでしたね。
『シラノ・ド・ベルジュラック』もそうですが、1997年にご一緒した『リア王』でも半年近い旅公演でした。その中で、みんなで食事へ行くことはありましたけれど、慣れ合った、べたべたしたお付き合いではありませんでしたね。それが、大人として程よい距離感を作っておられる感じで。そう言えば、私がご一緒した時は麻雀に凝っておられた頃で、たまに、仲間に入れていただくことがありました。私は下手なので、メンバーが足りない時に呼ばれるんですけれど、そこで見せるお茶目な顔も素敵でしたよ。それでも、決して翌日に影響を与えるようなことはなかったですね。いつも程よい時間で切り上げて。そういう場面で「素のお茶目な姿」を見せてくださったことも嬉しかったですね。
−目に浮かぶようですね。
剣:すべての基本が芝居にあって、日常生活のすべてが芝居に「どう活きるか」を考え続けていられたんですよね。
−今までのお話を伺っていると、剣さんは一つの役を創り上げるまでに時間をかけるタイプのような気がしますが。
剣:そうですね。「かける」というよりは、「かかってしまう」とか「かけないとダメ」というタイプでしょうか。台本の隅々まで読んで、自分がいろいろなことに気付いてゆく過程が面白いので、それを楽しみながら、という部分もありますね。素敵な方々とご一緒させていただく以上は、自分ができることは全部したい、という気持ちがありますからね。
−そうして紡いでゆく役柄の幅の広さは凄いですね。宝塚歌劇のご出身で、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』、井上ひさし作品、ミュージカル、一人芝居と多岐にわたっていますね。帝国劇場のような大劇場から小劇場での朗読まで、そのグラデーションは素晴らしいですね。
剣:宝塚を辞めた時に、「そうありたい」と思いました。自分が女優として足りない部分を補いたい、という気持ちですね。劇場の大小の問題ではなく、いろいろな作品や演出家の方と出会うことが物凄く勉強になりますので、それをさせていただいた結果、いろいろな舞台を、ということでしょうか。
−言葉を大事にする女優さん、という印象が強いです。慈しんでいらっしゃる。
剣:書いてある台詞を覚えて表現しても、言葉が持っている意味を全部理解して伝えないと意味がないと思うんですよ。ですから「表現」だけではなくて、今、その人物の中にある感情、「怒っているの」とか「哀しくてたまらない」、そういうものすべての微妙な部分までを伝えられないといけないと思うんです。例えば、作者の井上ひさしさんは、台詞を「〜は」とするべきなのか「〜を」なのか、という問題を一日かけてお考えになっているわけです。作家がそれだけの愛情と労力を注いでくださったものを、私たちはきちんと受け止めなくてはいけませんし、言葉は凄い力を持っていると思うんです。それを受け取って、伝えられないのでは意味がないですから。だから、言葉が愛おしく感じるんですね。
−もしも、もう一本、これから平さんと共演できるとしたら、どんなお芝居をされたいですか?
剣:何だろう…。絶対にコメディですね。具体的な作品名は思い浮かびませんが、コメディがいいですね。重厚で、悲劇的な芝居をずいぶんおやりになられましたが、箇所箇所にすごく軽いところを持っていらっしゃるんですよ。どんな大悲劇でもそういうものは必要で、人間にはそういう一面があるんですよ。「笑わせる」ためではなくて、悲劇の中でそういう人間性がふわっと見えるから、悲劇が際立つんですが、普段はちらっとしか見せないそういう軽い部分を前面に押し出した芝居は、凄く面白いと思います。そういうことを考えているだけでも楽しいですね。シェイクスピアの芝居も、悲劇でも悲喜劇みたいな部分は充分に持っていますからね。
−では、観客として印象に残っている舞台は?
剣:『幹の会+リリック』でご一緒する前に、1994年にサンシャイン劇場の『ヴェニスの商人』で平さんとご一緒させていただいて、ポーシャを演じたことがあります。平さんはシャイロックで、私はその芝居が大好きでした。すべてを失って、あれだけ打ちのめされたユダヤ人が、それでも明日も歩いていくぞ、っていう重みと軽さ、そして明るさと哀しみ。今でも目に浮かびます。芝居全部を眺めると「一体、どちらが本当の正義なのか」など、腑に落ちないところもありますが、平さんが見せた最後の場面でそういうモヤモヤが全部吹っ飛んでしまうような芝居でしたね。共演しながらも観客のように平さんのお芝居を見てしまいました。
いろいろな意味で演劇界が大きく変わった中で、平さんと共演できたことはいい想い出と言える以上の勉強でもありました。また、何よりもこうして今、ゆっくりといろいろなことを想い出しながら平さんのお話をできることが嬉しいですね。
もう一回、一緒に芝居をしたかったなぁと思います。でも、平さんのことをこんなにたくさんお話しできたので、その想いが少しは平さんに伝わったような気もします。
−7月には次の舞台が控えていらっしゃるんですね。
剣:はい。帝国劇場で『ビューティフル』という作品に出演します。アメリカのシンガーソング・ライターのキャロル・キングの半生を描いた作品なのですが、若い方々と一緒の刺激的な舞台になりそうで、楽しみにしています。
−ぜひ、皆さんにもご覧いただきたいですね。お忙しい中、長時間にわたってありがとうございました。
「天真爛漫だが、芝居の話はいつも真剣」
「何かが違う…眼ぢからがあるのだ」
「芝居の話になると、初対面でも遠慮がないインタビュアーの中村」
<今後の活動>
★7月26日(水)〜8月26日(土) ミュージカル「ビューティフル」帝国劇場
ビューティフル
★毎週日曜日朝6:00〜 NHK・Eテレ 「NHK短歌」司会 (火曜15:00〜再放送)
NHK短歌
剣 幸 プロフィール
富山県生まれ。県立富山工業高校から宝塚音楽学校へ入学、という珍しい経歴の持ち主。1985年から5年間にわたり、月組の男役・トップスターとして多くの名作に出演。『ミー&マイガール』は、1年間の続演という宝塚史上初の記録を樹立。
1900年退団後は、女優としての活躍の幅を広げ、ミュージカル、翻訳劇、小劇場、朗読、一人芝居など、多くのジャンルに挑戦。93年にはアガサ・クリスティーの推理劇『蜘蛛の巣』で第18回菊田一夫演劇賞を受賞。
2010年には『この森で、天使はバスを降りた』『兄おとうと』の演技で第17回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞、2013年『ハロー・ドーリー!』で第21回読売演劇大賞優秀女優賞受賞。「ミュージカル」誌が選ぶ年間女優ベスト1となる。
2014年、CD「kohibumi」をセルフプロデュース。
2016年、「宝塚歌劇の殿堂」顕彰者に選出され、円熟味を増したますますの活躍が期待されている。
CDタイトル「kohibumi」