「平さ~ん ありがとうございました」
H・I(幹の会会員)
突然の訃報に、どれほどのファンがまさか!!と耳を疑ったことでしょう・・・
そして、様々な思い出が走馬灯のように次々とめぐったことでしょう。
この数年、直接舞台を拝見することがままならない状況が続いていましたが、今年の目標は「王女メディア」を観る!!でした。
道内での公演もありましたが千秋楽に照準を合わせ水戸に参りました・・・艶やかな舞台姿、美声に包まれるその心地よさ、 ウーン・・・やっぱり平さんだ・・・マニキュアの鮮やかさに目を見張り、全身を耳にしていつもながらの感動に酔いしれた2日間でした。
私が平さんを知ったのは、小学生の時です。
「3匹の侍」であの「桔梗鋭之介」と目があってしまったのです。
お色気のある涼やかな目元、心地よい声・・・なんという俳優さんなの?私の頭は?でいっぱいでした。
日ごとに大きくなる疑問を抱えていたある日、NHKで演劇賞の表彰式を放送していました。
偶然見たその番組に平さんが・・・平さんが表彰されていたのです。
「ハムレット」のホレーショー役の舞台稽古から駆けつけられたとのことで、舞台衣裳でのご登場でした。
「ひら・ひら・ひら」ドキ・ドキ・ドキ・・・俳優座???私の疑問がまたまたふくらみ、そこから新しい世界がどんどん拡がりました。
俳優座時代の舞台は、NHKの芸術劇場で拝見しました。
「劇団四季のハムレット」は、北海道巡演で私の街での公演が奇跡的にあり、高校生の私、もちろん夢見心地で拝見しました。
テレビから流れるカレーのコマーシャルにドキドキ(懐かしい)・映画・NHK大河はもちろん、主演ドラマの数々(幾多の女優さんと共演されたことでしょう)にうっとり、やがて日生劇場や帝国劇場でのめざましいご活躍を新聞の劇評欄で拝見することが多くなりました。
テアトロ・新劇に掲載される舞台写真にどれだけ見入ったことでしょう。
そして,近松心中物語での休演からの復帰第一作「NINAGAWAマクベス」は絶対に観たくて観たくて、ついに日生劇場の席にたどり着いた時の大きな感動は忘れられません。
いくつもの偶然が重なってお邪魔した楽屋で、平さんを目前にいい大人の私が大興奮した事(赤面の至り)、それがご縁で数々の蜷川作品・清水作品を鑑賞でき「幹の会」との交流にまでつながりました。
そして何にもまして平さんのプロとしての仕事に対する徹底ぶりは、駆け出し社会人の私の目標でもありました。
嘘のない本物はちゃんと伝わるのですから。
訃報に際して、勤務を休むこともできず淡々と残業の日々を送っていましたところ、数人の友からお悔やみメールと、「あら、行ってなかったの?絶対にご葬儀に参加していると思ったわ」と連絡がありました。
これぞ、私の自慢です!!今あらためて強く思います、平幹ファン歴50有余年、名舞台を堪能できて本当に幸せな時間でした。
これからはお目にかかれなくて、ずうっとずうっと悲しいけれど、満たされた感動はいつまでも色あせることはありません。
岳大さんのご挨拶にさぞかし照れていらっしゃったただろうお顔を想像しつつ、心からのご冥福をお祈りいたします。
平さ~ん、たくさんの宝物を本当にありがとうございました。
「平幹二朗様へ 最後の最後のファンレター」
土谷治子(幹の会会員)
前略ごめんくださいませ。
平さんには何度も拙いお手紙を書いてしまいました。
毎度、長くなってしまい申し訳なく思いながらも、どんなにその舞台が素晴らしかったかを伝えずにはいられませんでした。
初めての手紙に即お返事の絵葉書を下さった時の嬉しかったこと。
そして達筆な細かい文字、縦にきっちり揃った行、簡潔な言葉選び、ご自分を省みる数行、それらに、平さんの生真面目なお人柄を読み取りました。
絵葉書の絵にも、その度毎のメッセージがあり、繊細なお心遣いに頭を下げておりました。
万年筆の青いインクが雨で滲んで届いたものなども、なんとも美しき思い出の宝物でございます。
平さんは、すぐに次の公演のチケット申込用紙も送って下さり、事務作業をお一人でなさっているというご多忙な机上の作業の中に、この大変遅れて熱く燃えあがってしまったファンを加えて下さいました。
その後は毎回、最高のお席を割り振って下さり、平さんのご演技を間近に堪能させていただきました。
平さんの生の舞台には、主役であろうが脇役であろうが、これまでお身に積み重ねていらした技々が細かく犇(ひし)めき輝いていました。
自分の人生が半世紀の境に到達しようとする頃、人並みに様々事々を経験してきてからの舞台観劇は、心の傷口や穴や凹みや欠けを覆ってくれたりもし、逆に沁みて痛いものでもございます。
平さんのお声と台詞、表情は一つ間違えば毒にもなるような強い効能を持っていらっしゃいました。
見る度毎に、自分のどこかに痛いくらいに何かを擦り込まれ、射し込まれ、治されることなど通り越して、成育させられました。
平さんの役との格闘、台詞との格闘、演出家との格闘、ご自分との格闘、共演者の方々との格闘、様々な格闘の結実が、生の平さんから迸り、観る側も、ただ受け身で観ていることができませんでした。
とある秋山佐和子さんの談が掲載されたホームページの中に、平さんに叱られる時に言われるという言葉があります。
「僕も命をかけてやっているんですから、あなたも命をかけて下さい」というものです。
それを読んだ時、さほどまでにして作られている仕事なのだ、観る側も全身全力で観なければ、と思いました。
そういう芝居の楽しみ方を教わりました。
だから観劇の度毎に自分も何かが変革される満足感を得ることができたのでしょう。
平さんに出した最後の手紙にこう書きました。「平さんに繋がるものを全て追おうとして時間が足りません。
生の舞台観劇はもちろんのこと、過去のインタビューも探しては懸命に読み、旧作映像を探しては観て、映像がなければ戯曲を読み、平さんの声と表情で想像します。
それも手に入らなければ、関連の映像を観、原作を読むなどします。
関わった演出家さんの作品も観たくなり、一緒に出た方の作品も観たくなります。
キリが無いくらいです。そうして平さんを追いかけることで我が人生が色濃く深くなります。」と。
こんなことを、お旅立ちの直前に誓うように書いてしまったために、ベソをかきながらも平さんのご旧作を観たり、出演予定であった作品の原作を読んだりしております。
この世からは旅立たれても、平さんはこれからもずっと私の希望の星です。
平さんの役者人生60年の道程はあまりに遠く長く広く追いつき得ぬものではございますが、もうしばらくは追いかけて追いかけて追いかけて、いつか私も「天使の夢を見ることにしよう」と最後の台詞を言いながら、満足してそちらの世界へ旅立とうと思います。
平さんへ、また一通お手紙を投函しようとしていた朝、信じがたき急なご訃報を受けました。
平さんの大ファンのうち、おそらくはビリッケツにあたる私に、幹の会+リリックのホームページへの寄稿のお声をかけて下さった秋山佐和子様には、平さんに手紙を出しそびれた我が思いを叶えて頂いた気がしております。
また、この寄稿への参加につき相談した観劇仲間からの「ファンとしての熱い思いというものに期間の長い短いは関係ないよ。読むから書きなさい、と平さんが仰ってくださってるんだよ、書きなよ」という言葉にも背中を押されました。
平さんは、この、最後の最後の手紙にも、きっとお目を通して下さることと信じます。平さんにとって、次の世界もまた素晴らしき世界となりますよう、お祈りしております。
かしこ
「平さんの思い出」
福田フジ子(幹の会会員)
10月24日の朝、何気なく新聞で平幹二朗の名前を見て、平さんの新しいニュースかと確かめると、まさかの記事。
あの時の呆然と立ち尽くした衝撃は忘れることは出来ません。
私が平さんの舞台を初めて観たのは、1986年函館演劇鑑賞例会「夢去りてオルフェ」でした。
客席に朗々と響き渡る歌うようなセリフ、そのセリフから秘めていた愛が浮かび上がって来る。
「もの狂おしき年月の消え果てたよろこびは」で始まるプーキシンの詩の朗誦、感動で震えました。
その時から私は平さんの虜になりました。
でも地方に住む主婦であれば、舞台を観ることは叶わず、ようやく少し時間にゆとりが出来て上京し1998年「王女メディア」、2001年「近松心中物語」を観ました。
友の会に入会し、2002年の帝国ホテルで初めてお目にかかりました。
その時、写させていただいた平さんとデビュー前の岳大さんと私の写真は、2003年から今年(2016
年)までいただいた御年賀状と、近況をしたためた公演のご案内のお手紙と共に私の宝物です。
2002年から平さん詣でが始まりました。
御年賀状の舞台のお知らせで私の年間の予定が決まります。
平さんの舞台は生き甲斐であり、生きる支えでした。
今は喪失感でいっぱいです。
プログラムを出してみました。
幹の会+リリックの舞台は2002年から全て観させていただいております。
その中で「王女メディア」は5回。
夫への復讐の為愛する子を殺す。
その激しさを観る度、人間というものを考えさせられました。
平さんのメディアの声が耳に残っております。
舞台を観ている時、平さんのセリフが心にしみ通って舞台と客席が一つになるような瞬間は、至福の時でした。
かつてアンケートに「人間国宝が古典芸能にあってなぜ新劇にはないのか?平さんは国宝級です」と書いた事があります。
2005年「ドレッサー」のセリフ「芝居は俺の一生をかけた仕事だ」まさにそうでした。
平さん本当にありがとうございました。
「平様と私」
溝畑洋子(幹の会会員)
私と平様の出会いは2012年(H24 年)「王女メディア」のDVDでした。
このDVDを拝見させて頂いた時、舞台の中の平様は紛れもなく男ではなく女・母そのものでした。
そして大変綺麗でした。
この「王女メディア」を観てしまったからには、「近松心中物語~それは恋~」「タンゴ・冬の終わりに」その他も観なければなりません。
そう決めました。随分と探しましたが見つかりませんでした。
前に平様に「王女メディア」のDVDの感想をお便りにした時、その話を書いてお出しした事がありました。
その事を覚えてらして、わっわっわっどうしましょ、平様からのDVD となりました。
夢ではないかと頬をつねり膝を叩くと痛い・・・・・・
夢ではないのだ、それも私が夢に見ていた2作品を本当に一介の一ファンに、自分が録ってあったDVDを貴重な時間をとり、ダビングして下さり有難う御座いました。
又一つ宝物が増えました。
早速拝見させて頂きました。
想像以上の素晴らしさでした。
あまり観るとテープが痛みます。
でもやはり観たい・・・・・DVDを私もダビングして送って頂いた一枚は大切にとっておこうと思うくらいですし、またそうしました。
和・洋と言わず、動・静その表現力の素晴らしさは何とも言えず、男女の機微の哀れさ、儚さは言わずもがなです。
私に出来ることは、生涯、平様の一ファンでいることです。
失礼とは思いますが、私の好きなようにさせて下さい。
お願いします。DVDはないですが、パンフレットを拝見しているだけでも劇場にいる気分で情景が浮かんできます。
又、台詞が聞こえてきます。
私たちの太陽「平様」は沈みました。
でも又、太陽「平様」は昇ります。
私の中の平様はずっと生きておられます。
「お礼と覚え書 : いつまでも愛しい(かなしい)人」
中西亮介
平さんの最も遅い時期のファンの者で、中西と申します。
平さんが急逝された夜のうちに半分取り乱しながら2015〜6年の王女メディアのDVDを注文し、そのお返事で秋山さんから暖かいメッセージをいただいたのは本当にありがたく、その後届いたDVDに残された僕にとっては一生ものの平さんの名演共々印象いつまでも褪せないものでした。
その節はありがとうございました。
先週、このHP開設のお知らせをいただき、それから一週間、折に触れてゆっくり隅々まで拝見させていただきました。
もう平さんの、なんというか、雰囲気に浸れることがないのに時折、例えば平さんの演るはずだった舞台が代役でポスターが貼り出された時など、胸がちくりと痛くなる今日この頃に驚きと嬉しさが飛び込んで来ました。
秋山さんご自分で書いてらっしゃいましたが、亡くなった俳優のHPというのは僕も初めて見ました。
それだけに、充実したインタビューの収集など、秋山さんのお働きの賜物だと思います。
ありがとうございました。
今年やっと成人のとても遅いファンなので、幹の会の様々な公演に間に合うはずもなく、さらに成長して、少なからず平さんの魅力がわかるようになるまでは更に時間がかかったので、名残惜しむというよりも、幹の会の各公演の紹介は考古学的発見でした。
僕にとってこのHPは稀有な存在です。
ぜひ、維持、深化のほど、お願い致します。
これからも活躍お祈りしております、陰ながら応援させてください。
機会のあまりないことで、尚且つ折角奇跡的に生まれた機会ですから、日の浅いファンの短い記憶の中に凝縮された平さんについて語らせていただければ幸いです。
俳優平幹二朗を子供の僕が初めて観たのはTV、大河ドラマ義経の後白河法皇をお演りになった時が最初、二回目は篤姫でこちらは一度だけ、調所広郷なる薩摩藩の経世家を演じた時です。
それから、舞台では筧利夫さんとの異種格闘技戦のような演技合戦をされて圧倒的な貫禄を示した、ロナルド・ハーウッド作、テイキング・サイズが初めてでした。
その時僕は確か中学三年だか、高校一年だかのこわっぱだったので、格別平さんが好きで観に行ったというわけではありませんでした。
しかし、確実に平さんに興味を持って観に行ったのを覚えています。
興味を持つもとは、確かに篤姫の一度だけの調所広郷が記憶の中で好ましく残っていたからです。調所広郷を観たときに、あ、この人後白河法皇演って夏木マリと百鬼夜行みたくなってた人だなと思い出したのも覚えてますが、今あげた三つの役にはかなりタイムラグがあります。
思えば平さんの演技にそのころから無意識に惹かれていたんだと思います。
裏を返せば平さんの演技力更には怪物的雰囲気が、はなたれ小僧のTVのながら見にまで波及力があったのだと、改めて畏敬する次第です。
テイキング・サイズを観ながら、子供の少ない予算ながらも平幹二朗という今観ている俳優の出ている舞台はなるだけ観に行こうと観ながら決めたものでした。
フルトヴェングラーという世界的指揮者が、第二次大戦後にナチスへの協力のかどで取り調べを受けるといった役どころでしたが、序盤、中盤と平さんが舞台上で発散する風格に鷲掴まれっぱなしでした。
舞台上で重々しく喋る男が、数十年にわたり、数百年の伝統を持つクラシック音楽を背負って立っていたことになんの疑いも持たず、匂い立つ色気に唯々酔わされた天王洲の劇場空間が書きながら思い出されます。
シンプルな感想として、フルトヴェングラーという名乗りがこんなに板につく日本人がいることが少年の発見でした。
この舞台で平さんがあのドラマティックな咆哮を効かせたのは本当にラスト10分のことでした。
そこまで、あくまで平さんからすれば、抑えめに演じていたのを最後に抑えがたい力を放出させたのです。
いや、あの時は、びっくりしたものです。
舞台があの轟きでグウンと後ろに伸びて、観客の前には平さんしか残りません。
平さんの、計算というには余りにも精妙な、王女メディアの修辞を借りれば”たくみ”に、少年は演技という言葉の辞書に載らない意味を見出した気がしました。
平さんがふとした役でTVや映画に出ると、「俺、この人好きでさ」と周りに言って「渋いね」と言われるのを趣味とする、やや気味の悪い高校生になりました。
王女メディアの2012年のDVDを、天王洲の劇場の販売スペースで買った時のドキドキは何だったのかと思います。
休憩中でしたが、つい先程白髪のやんごとなき紳士を演じて隙のない人が、目の前のDVDの表ではマスカラをつけて、睫毛が長くって、あり得ないことには、綺麗で……。
一緒に観劇した叔母にこの買い物を隠した思春期の複雑な気持ちをわかってくださると思うのですが。
DVDで見た王女メディアはしかし、少年のよくわからない気恥ずかしさに負けなかった自分を褒めてやりたいくらいに、僕の宝物となりました。
あぁ、フルトヴェングラー本気を出したら更にこんな境地に到達するのかと、わかりました。
フルトヴェングラーのたくみは、王女メディアへの入口に過ぎなかったのです。
凄すぎて、わかった、以外の気持ちは追いつきません。生でいくつか見ていた舞台というものへの志向が、一枚のDVDで変わりました。
王女メディアにおいて、平さんは男でも女でも人間でもなく、ドラマそのもので、平さんの一挙手一投足が二時間だけの空間をつくり、動かし、壊して去ってゆくのをTV画面越しに口を開けて見ているしか術がないのは今以って変わりません。
後述しますが、2016年に王女メディアを生で見る機会を得たことは一生の幸せでした。
2012.2015.6年王女メディアは僕の舞台のイデアです。
「平さん、一生ついていきます!」と叫びたくなった劇団四季に客演した鹿鳴館は、生で見た舞台のベスト1を2016年の王女メディアと争って決着が今も着きません。
ある風刺漫画家に政治家をなぜ描くのかと聞いて、その漫画家が、人間を描きたかった、一番人間臭いのが政治家だったと答えたインタビューをぼんやり思い出します。
この意味での政治家を僕は平さんの影山伯爵を以って理解して、納得に至ったからです。
稀代の陰謀家のダヴル・ミーニングを表現する平さんの貴顕な怪演はメディアとはまた違う僕の中のイデアです。
共感覚という言葉があって、現象学などで使う言葉だったかと思いますが、これは例えば匂いを視覚の言葉で表したり、音を色で感じたりする時に関係する言葉です。
平さんの影山伯爵は、五感に共感覚的に迫ってきて、見ていて戸惑いながらも感じたことのない快感がこみ上げてきました。
焼き付いて思い出そうとする必要もない場面があります。
朝子夫人と影山伯爵の最初の対話です。
対決といった方がいいでしょうか。
平さん/影山伯爵の朝子夫人にかける声音の京劇役者のような甲高さ、弓なりのエロキューションに既に、夫人への溺愛・猫可愛がりとそれがエスカレートしてサディスティックな欲望へと転化する瞬間の狭間の尾根を駆けて行きつ戻りつして楽しんでいるかのようなダヴル・ミーニングの芸術がありました。
そして平さんの朝子夫人を見る目には自分を心からは愛していない夫人への疑いがありながら、夫人との駆け引きを楽しむ好戦的な色気がビーム状に夫人へと注がれます。
しゃんとした姿勢、滑らかな足取りは世界で最も洗練されたファイティングポーズでした。
信じられないことは、数年前、これがある人間の一人の身体に全て備わって同時に蠢き、溶け合っていたのです。
平さんの最晩年の大活躍と僕の大学受験、慌しい大学の一年目が重なったことは何の因果律もありません。
強いて言えば、僕の前世の行いが悪かったのかと思いますが、お陰であまり触れる人のいない平さんの舞台が僕の記憶では鮮やかです。
黄昏にロマンス、という渡辺美佐子さんとの二人芝居で、これが、受験ラストスパートの為に舞台断ちする僕の見納めでした。
攻めない淡々と紳士を演じる平さんから洒落っ気が滲み出てくるのを小規模の劇場で漏らさず感受できた幸せな体験でした。
平さんの気迫、力強さについて語る人が多いのは事実ですし、僕もそれらに圧倒され尽くした一人です。
しかし、もし平さんに日本人離れした、西洋的な洒落っ気が無かったとして、気迫や力強さがあったところでこれだけ魅力的な役者であったかは疑問であるとおもいます。
黄昏にロマンスで、平さんの底光りする天性を見たのだと思いました。
更にこの芝居はハッピーエンドで、ハッピーエンドを迎える平さんが新鮮でした。
なんだか嬉しかったのを覚えています。
2016年1月に東京で王女メディアを観ることができました。
幸せでした。
2012年のDVDを見ておいてよかったと思います。
あれだけ演じ重ねたメディアの深化が最後まで止まらなかったことに感動することができました。
メディアのパーソナリティの瞬間瞬間の幅が2016年に至って桁違いに広がったように僕には見えたのです。
隣の国の太守との取引が成立した後に彼を大手を振って見送り、振り返り、そして足を踏みならして手を叩いて「みなさまああっ!!」と口をガバッと開いて土地の女たちに語りかけるところで、僕の観た回では客席で笑いが起きました。
滑稽云々ではありません。
メディアの沸々と湧いた束の間の歓び、生命力を余すところなく平さんが表現したところに観客が入り込み同化して、あの笑いの間、平さんと我々が一つになったのだと僕は信じています。
平さんの出、それからあの名台詞「女と生まれたこの身ではないか」、そして暗殺の報告を聞いてホッとするところといった既に聞こえ高い名演の数々と合わせて、上のような人間臭いところ、脆いところを平さんは掘り出してきてくれました。
紅い布にくるまってぎゅうううっと身を引き締め、歯をくいしばり、涙に溢れる目をかっぴらいた平さんにいつまでもにらまれてたかった。
鳥肌が立ちました。
あの日の百科全書的なパーソナリティを包括した平さんは、普遍的な女、更には感情の擬人化でした。
目の前に現れた日があったことは僕の一生の幸せです。
水戸芸術館での資料映像の公開は本当にHP運営の秋山さんはじめ皆様にお礼申し上げたく思います。
メディア、東京から更に深化しているのでビックリしました。特に最後の仕草、手数が圧倒的に増え、心理の動きが細やかになり、あの場面だけでもドラマが溢れ出てくるように感じました。
平さんの急逝が再び悔しくなって、胸が熱くなりました。遅まきにも僭越ながら、平さんの急逝は、決して文化遺産が消失したとかいう類の消極的な損失ではないと思います。
このHPに集う僕たちが慕って止まない俳優は82歳にして計り知れない可能性に満ちていたとしか僕には考えられません。
平さんなら、どんな境地にも辿り着けたのは、2012年メディアのDVD、2016年メディアの東京公演の僕の記憶、2016年メディアのDVD、2016年水戸千秋楽の映像でのメディアの何れも異なった魅力に溢れていたことが議論の余地を残さず証明しているはずです。
しかし、クレシダで平さんが到達した境地は既に前人未到でした。
東京千秋楽に滑り込んだ僕の目の前に居たのは、単にシェイクスピアの作品を演じる老優ではありませんでした。
シェイクスピアの世界の人物でもありませんでした。
シェイクスピアに世界をつくらせ、シェイクスピアの世界を維持してきた大きな力が最前列の僕の鼻の先で躍動していました。
とんでもなくスケールが大きく、ありえないほど繊細な演技でした。
この表現が矛盾するならば、そしてシェイクスピアをはじめとするバロック劇の魅力に矛盾、パラドクスがあるならば、平さんは矛盾を飲み込んで体現したのでした。
平さんは矛盾、それを抱える宇宙となって僕たちに迫って見せたのでした。
こみ上げる生命へのたまらない嬉しさにウキウキして家路に着いたのを思い出します。
家路に着くとき、平さんが今年演じるはずだったストリンドベリの死の舞踏をうっとりと想像していました。
突然のお別れから数ヶ月も経っているとは思いませんでした。
残してくださった映像や写真、様々な方が語り継いでくださるエピソードのお陰です。
このHPはある部分の僕の観劇体験の原風景のよりどころで、本当にありがたいです。
しかし、このようにとりとめもなく書いてきて確認することには、ああ本当に好きだったなあ、僕は本当に平幹二朗という俳優の演技が楽しみで楽しみでたまらなかったと。
他のファンの方に比べたら恥ずかしいくらい短い期間でしたが、僕と平さんの歳の開きでは、僕が平さんの存在に気づいて、魅せられ、見惚れたという時間が僕に残されたことが幸せなのだと思うことにしています。
元々あまり周囲の同世代が好きになるものを好まない傾向があり、要はへそ曲がりなのですが、今年弱冠二十の僕には夢中になるアイドルなどがおりませんでした。
ただ、今思えば、僕には平幹二朗さんがアイドルでした。
暫くあれ程のアイドルに遭遇するなんてことはありえません。
平幹二朗様、本当に本当にありがとうございました。
これだけ好きなら変な恥ずかしさを捨てて、ファンレターを何故僕は書かなかったのでしょうか。
すいません。
それから、もう平さんの預かり知らぬところとなりますので、迷惑かもしれませんが、これからも宜しくお願い致します。