幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

第6回 八戸にて


210日(水)
 
 午前中原稿を書いて、ランチに町へ出る。
気温は1℃。
しかし、風がないせいか暖かく感じる。
八戸へ訪れる呑兵衛の演劇人ご愛用の「みろく横丁」などを散策しながら、町ブラ。初めて訪れる町のそぞろ歩きは気分が良いし、何でも新鮮に映る。
暖かいと思ってはいたが、日陰へ入ると、風は顔を刺すような冷たさで、冬の東北を感じる。
 
 町を歩いていて気付いたのだが、今、東京で悪しき習慣となっている「歩きスマホ」をしている人が一人もいない。
足元が凍っている場合もあり、しないのが当たり前だが、視界の中に「歩きスマホ」が見えないだけで新鮮に思う自分の感性が、いかに東京の粗雑な空気に狎れてしまっているかを知らされる。
 
 今日は18時半からの公演だが、15時に「八戸公会堂」へ。
平さんの楽屋入りは、公演開始の何と3時間半前だ。楽屋裏を覗くという軽々しいイメージではなく、俳優・平幹二朗が、「メディア」に変わるまでのプロセスを見せてくださるとのこと。
今までに多くの俳優とお付き合いをさせていただいたが、自分が支度をしている場面を見せるのは俳優にとっては嫌なものだ。
「舞台にある姿がすべて」だと言い切る人もいる。それは当然だ。

25年ほど前に亡くなった歌舞伎の女形に、芸談を聴きに通っていたことがあった。
顔の拵えにかかるのを潮に客席へ回っていたのだが、ある日、「行かなくていいよ。
お前さんのような物書きは、役者が『化ける』姿も知っておいた方がいいだろうから。
でもね、女形の拵えは、滅多なことでは見せるものではないんですよ」と言われたことがある。
今は、テレビのドキュメンタリーなどで敷居は低くなったが、楽屋は役者にとっての城であり、聖域であることに変わりはない。