幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

第12回 「余韻」を残して


17:27 水戸駅 発
 
 三々五々水戸駅に集まり、舞台のバラシなどが残っているスタッフ以外は同じ特急で東京へ。
ホームでそれぞれが「お疲れ様でした」などの挨拶を交わす。
舞台が終わってからまだ一時間半ほどしか経っていない。
気のせいか、誰もがさっぱりした顔でホームに佇んでいる。
 
 東京までの約1時間、平さんの好意で隣の座席で話を聴いた。
さっき終わった『王女メディア』の話をしようと思っていたら、平さんから「昨日の宿題」の三人の演出家に関する解釈の話題が出たのには驚いた。
「昨日、中村さんの意見の最後を否定したような形になったけれど、千田さんに教えてもらった基礎と、浅利さんのところで得たものがないと、蜷川さんの「どう見せるか」「舞台では何でもありなのだ」という要求には答えられなかったでしょうね。
それを具現するためには、千田さんと浅利さんから得たものは必要でしたね」。
私だけの「宿題」だと思っていたものを、平さんは自分の経験をどう説明するか、一晩の間に考えてくれていたのだ。
「ということは、千田・浅利の二人の土台の上に立って、蜷川演出を具現するということですね。役者としての基礎体力が相当ないと、蜷川さんのパワーに呑みこまれます。それに拮抗できる方と、そうではない方との違いは、そうした過去の経験や蓄積が大きく物を言う、ということでしょうか」
 

なるほど、平さんの説明で私の疑問は氷解した。
しかし、この答えは私から先に言うべきことだったのだ、との反省も大きい。
 
 話はさっき幕を閉じた『メディア』に変わった。
 「千秋楽だから何か特別なことをしようと考えたわけではなかったのだけれど、今までは意識的に『女形の芝居』になることにブレーキをかけていたんですね。舞踊の素養があるわけでもないし。
でも、今日はどう思われてもいいから、女性らしい部分はなるべく女性っぽく演じようと、半ば開き直ったような感覚でやったんです。
そうしたら、芝居の間に細かな部分でも、『あぁ、ここはこうすれば良かったんだ』と思うところが出て来て、感情の振幅が広がったんですよ。
力強いところは力強く、女性らしいところはそのように、と自由に変化ができました。
『なんだ、最初からこうやればよかったんだ』と、やっと今日になって初日が出た感じですね」。
 ここにも、私と同じ感覚があった。
表現は違うが、昨日の舞台で「様式から離れよう、離れようとしているメディアがいた」と感じたのはこのことだったのだ。
それを、批評家として観て取れたことは嬉しかった。
 
 同時に、半年近く、100回に近いステージを終えた後、数時間も経っていないのに、平さんのこの「前のめり」な感覚には驚嘆した。私なら、「すべてを忘れ、疲れを取るために温泉にでも…」と言うところだろう。
 同時に、今朝、若松さんから聞いた「客観的なもう一人の平幹二朗」の話が腑に落ちた。平さんは、すべての自分の舞台を俯瞰で眺め、どう見えるか、どう見られていたかを綿密に、あるいは長年の経験による感覚でわかっていたことを、この言葉で知ったのだ。もちろん、そんな言葉は一言も発していないが…。改めて凄い役者なのだ、と感じた時、電車は東京駅のホームへ滑り込んだ。旅の終わりまで、濃密な時間だった。