幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

小論「平 幹二朗」

 

演劇評論家 中村 義裕

【平幹二朗の魅力-風格】


俳優座養成所でのスタート以来、60年の芸歴を全うし、現役のまま第一線で見事な幕切れを見せたのは、俳優としては稀有な存在とも言える。舞台に軸足を置いているのはもちろん、テレビ、映画と活躍の幅も広く、立派な体格と相まって多くの人が知る役者であった。既知のように、中年を過ぎてからは大病を克服し、その影も見せずに走り続けたエネルギーは凄まじい、としか言いようがない。平幹二朗の魅力のもう一点は、立派な体躯がやがて「風格」に変わったことではないだろうか。
 
役者の風格。単純に、年を重ねればよいというものではない。また、「芸」と同じように、「こういうものです」と具体的に説明できるものでもない。観客の感覚に委ねるしかない。従って、「こうすれば『風格』が出る」というマニュアルもなければ方法論もない。平幹二朗の風格は、作品に恵まれたのもさることながら、年代によって良質な作品に挑戦する「しなやかさ」が要因の一つだっただろう。
誰しも失敗は怖い。しかし、その先に「やってみよう」という熱い想いがあり、結果がどうあろうとも挑戦する、そのしなやかな勁さで舞台を重ねてきたことで、おのずと生み出された風格と言えるのではないか。
 
例として挙げるのに相応しいかどうか、気候の厳しい北国の漁師が、潮や陽に焼け、風雪の刻まれた「佳い顔」をしていることがある。私は、平幹二朗の風格にこの漁師との共通点を感じてならない。どちらも、一朝一夕に身に付くものではなく、その道を歩み続け、困難を越えたもののみが顔に刻み付けることのできる「刻印」ではなかろうか。こうした経験を経た人の多くは、それを雄弁に自分の功績として語ることを好まない。だからこそ、それが魅力になるのだ。
 
『王女メディア』にしても、82歳の肉体という過酷な条件ながらなおも挑戦したのは、作品の力に吸い寄せられ、格闘することを厭わなかったからだろう。作品が要求する演技に対して、真摯で謙虚な姿勢があるからこそ、挑戦もできる。数回にわたって演じた三島由紀夫の名作『鹿鳴館』の影山伯爵にしても、その立ち姿、表情一つで狷介さや狡猾、嫉妬などの感情の交錯を見せる。それが薄っぺらな表情の演技だけに留まらないのは、「風格」のなせる技だ。もちろん、いかに名優・平幹二朗とて、すべてが当たり役とは言えない事実もある。具体的な演目について話したことはないが、思い出したくない舞台もあるはずだ。また、演じた時期が悪かった、という物もあるだろう。そうしたものもひっくるめて生きて来た役者人生のありようから生まれた物、それが平幹二郎の風格なのだ。