幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

「平さんのこと」

有馬眞胤

  平さんを初めて見たのは私が劇団四季の研究生になった時でした。
私は色々事情があって、新劇団の中では唯一給料の出る劇団四季に年齢を偽って入団しました。

そして、初めて稽古場へ見学に行った時、丁度平さん主演の『ハムレット』の稽古をやっていたのです。
平さんの第一印象は何と華やかな美しい役者だろう、それに稽古場に響き渡るあの声に圧倒されました。
その日はとにかく平さんの一挙手一投足に釘づけになりました。
それから私の目標は平さん主演の芝居に出演することになりました。

 運よく一年間で劇団員に昇格出来、一刻も早く芝居に出たかったのですが、平さんの芝居には役がつかず、昼メロの撮影や旅公演に出ているうちに、平さんが劇団を去ってしまったのです。
やがて、平さんは蜷川さんの芝居で華々しく活躍するようになり、私は劇団四季を辞めて、悪戦苦闘の末、三九才の時、やっと蜷川さんとの出会いがあり、蜷川組の芝居が主戦場になりました。
しかし、その頃、平さんは蜷川さんとの確執で去り、またしても平さんとの共演は実現しませんでした。それから蜷川さんとの仕事も十七年目を迎えた時、突如、平さんが蜷川組に復帰するという話が持ち上がりました。
復帰作は『王女メディア』。
それ迄十年に亘って嵐徳三郎さんのメディアに出演していた私に蜷川さんは引き続いてコロスの長をやってくれということでした。
本当に長い年月をかけて、あきらめていた平さんとの共演が実現したのです。

 その稽古場は今考えても凄まじいものでした。
平さんの異様なテンションにコロスがついていけず蜷川さんの罵声が飛びかう稽古場でした。
平幹二朗という役者の並外れた力を思い知らされました。
そして東京、大阪での二ヶ月の公演。チーフの私は問題が生じると終演後、平さんの楽屋へ行って、若いコロス達の意見や舞台上のうまくいかない個所を代表して告げに行ったのです。
「失礼します」を楽屋に入ると「どうぞ」と言う平さんは何時もシャワーを浴びているのです。
そして裸の平さんとの対話になるのですが、平さんの浴びているのは水のシャワーなのです。
初めは驚きましたが或る時「何でそんなに長く水を浴びているんですか?」と聞いたら「テンションが上がりすぎて、こうしないと日常に戻れないんだよ」と平さんは答えました。
それほどの思いで役に取り組まなければ、あの演技は生まれないのだと、強烈なショックを受けました。

 それから『近松心中物語』『鹿鳴館』とご一緒させていただき、ついに「幹の会」の『冬物語』に参加させていただきました。
稽古を入れれば七ヶ月に亘る日々、平さん、そして渕野さんとの毎日は忘れることが出来ません。
何度も行ったカラオケ、食事。間近に感じた平さんはとってもチャーミングでやさしい人でした。

 そして、芝居の中で二度平さんとのからみがあったのですが、平さんの演技は予測がつかず、毎日が真剣勝負、寸刻も気の抜けない緊張の連続でした。
役のデッサンさえしっかり出来ていれば、毎日あんなに自由な演技が可能なのだと目からうろこが落ちた様でした。
本当に貴重な体験でした。

 そして最後の共演になってしまった『王女メディア』。平さんは六ヶ月間ずっと体調が悪く、まさに悪戦苦闘の舞台でした。
しかし平さんの体調が悪いお蔭で初めて平さんの余裕のないギリギリの演技を目の当たりにすることが出来ました。
私とのからみでは、何度か立っていることさえ辛い平さんがいつもと違う処で座り込んだり、私の台詞の途中で自分の台詞を云ってしまったり大変な思いをしましたが、これも今思えば良い勉強になりました。
このツアーの最中、感情の起伏の激しい平さんを垣間見て私は距離をとって余り近づかない様にしていましたが、最終盤の九州ツアーに入って食事の席で平さんが突然「何故有馬は俺を敬遠するんだ」と云い出して、廣田さんに勧められて隣の席に坐りました。
それから毎日、朝食も一緒にとることになりました。
何を話すでもなかったのですが平さんのやさしさが伝わって、忘れられないツアーになりました。
 
 千秋楽の数日前に朝食の席で最後に歌でも唄いましょうか、と言ったら千秋楽の打ち上げのあとに行こうと云い出して、楽しみにしていましたが、長崎の打ち上げの席で当時禁酒していた平さんは打ち上げの途中で「もう帰ろう」と云い出して結局カラオケには行かず、二人でタクシーに乗ってホテル迄帰りました。
ロビーで腰かけて凄く疲れた顔で笑って「長かったな。でもやっと自由に演じられる様になったから又メディアをやりたいんだ」とおっしゃったのが印象的でした。

 私はおこがましいけれど平さんが目標でした。
苦しく辛い時、平さんがまだ頑張っているんだから俺も…と思ってやってきました。
平さんは他の役者の様に副業に手を染めるでもなく、正に役者ひとすじ。
本物の役者でしたね。
もうあんな舞台俳優は現れないでしょう。
そんな役者と幹の会のお蔭で、長いツアーに参加させて頂けたのは本当に幸運でした。

 幹の会のツアーでの平さんとのエピソードをあげればきりがありません。
それは私の貴重な想い出として大事に心にしまっておきます。

 平さんの突然の訃報に呆然とするばかりでしたが、今は現実を受け入れて心よりご冥福を祈るばかりです。