幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

「忘れ得ない言葉」 

鮫島有美子(声楽家)

 「セリフのフレージングって考えてみたことありますか?」
 1995年の一月、 紀伊國屋ホールで私にとって初めてのストレートプレイ、シェイクスピアの『オセロー』公演を控えた稽古場でのことでした。
 
 生来の呑気さ故、演出の栗山民也氏からの「白紙でいらっしゃい」という言葉を、そのまま 信じて飛び込んだ芝居の稽古の苛酷さに毎日もがいていました。
私の言葉にならない悩みを感じ取ってくださったのか、あるいはパートナーとしてこれ以上付き合っては行かれないと思われたのか、平さんがふと私を傍らに呼んで、ご自分の台本を示しながら、セリフの 練習の仕方の一端を説明してくださったのです。
 
音楽家であるのに、今更≪フレージング≫に気づかされるなんて、とただただ愕然としました。
 1975年にオペラの主役デビューがヴェルディの『オテロ』、そしてまさに20年後に平さんの傍らで同じ役で初めての芝居。本当に貴重で贅沢な経験でした。
紀伊國屋ホールの後は、新神戸のオリエンタル劇場で2週間の公演が組まれていましたが、 阪神淡路大震災の大混乱の中で中止、(そのあとは極寒の北海道での旅公演があり、計50 回近くデズデモーナを演じさせていただくことができました)我々「オセローチーム」は 急遽チャリティーコンサートを開き、その舞台上での平さんとイヤーゴ役の村井国夫さん が演じられた『オセロー』のひと幕は、いつにもまして気迫あふれるものだったと記憶して います。
充実感と不思議な“非現実感”がいっぱいになって終わった3か月半の『オセロー』でしたが、その後再び『オイディプス王』のイオカステ役のお尋ねを頂いて、体中に嬉しさが溢れ たのを思い出します。
コンサートツアーが決まっていた時期と重なってどうしてもスケジュールが取れず、ご一緒できませんでした…。
あの時、もう一度平さんのもとに馳せ参じていたら、と今更ながら残念で残念で仕方がありません。
 
 平さんの優しい笑顔を心に描きながら、ご冥福をお祈りしております。
 本当にありがとうございました。