幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

「平さんを想う時」

一色采子

 1988年、私は本多劇場でレディー・マクベスを演じていた。流山児祥演出のアングラ・マクベスだ。
 ある日、薄暗く殆ど顔などは識別出来ないその客席の中央に、一際存在感を放ち、そこだけフワッと浮かび上がって見えるような客が否応なしに視界に入った。
断っておくが、それは決してひとり顔が大きい、といった類のことではない。
……と思う。
 「平幹二朗だ」
 「平幹二朗が観に来てる」
 着替えに戻った楽屋は、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
アルバイトをしながら舞台に立っているアングラ俳優にとって、シェイクスピア役者・平幹二朗が観に来てくれた、ということは、神様が降臨したことに等しかった。
 
 それから随分時代が流れ、私は日生劇場に出演することになった。
大地真央さんのクレオパトラ、アントニーが江守徹さん、そしてシーザーが平さんだった。
私の役はクレオパトラの妹・アルシノエであった。
 
 「はじめまして、一色です。この度、アルシノエを…」と平さんに御挨拶に行った時「僕は貴方の舞台を観ていますよ。
やっと一緒に仕事が出来ますね」とおっしゃった。
その言葉を聞いて私はものすごく感激した。
こんな私を覚えていて下さったなんて。
そしてこの方は、お芝居が、そしてシェイクスピアが、掛け値なしにお好きなんだと。
 
 それ以来、なぜか可愛がって頂き、2002年にはついに幹の会主催、平さんの演出で「リア王」に出演させて頂くことになった。
平幹二朗とシェイクスピアの芝居を演じる。
これは演劇を志す者にとって、誰もが抱く夢であろう。
その夢が叶った。
夢かと思った。
しかも7か月も、シェイクスピアのお手本とご一緒出来るなんて。
平演出はご自身が俳優なだけあって、俳優にとって分かりやすかった。
時に演じて見せてくれたりした。
 
 巡業はとにかく楽しかった。
みんなまだまだ元気だったから、全国至るところでとにかくよく飲んだ。
そのあたりで気が合ったのかもしれない。
その後もなんだかんだとそういった場面に誘って頂いては随分御馳走になった。
たまに私がお招きする事もあった。
 
 世の中がハロウィンでまだこんなに盛り上がるずっと以前、当時私が住んでいたマンションでハロウィン・パーティーをすることになり、『リア王』の仲間が思い思いの扮装で集った。
アーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事になった年だったのだろう。
平さんはシュワルツェネッガーのマスクを被って現れた。
肩幅の広い平さんにそれはよく似合っていた。
マスクを被っていると食事が摂れないので、口の部分を手でこじ開けては不自由そうに召し上がる姿が可笑しくて、みんなで大いに笑い合った。
 
 先日、平さんのお通夜で隣同士になった廣田さんが「つい最近も、一色さんの所でやったハロウィン・パーティーは楽しかったなぁと言っていたよ」とボソリと言うのを聞いた時、徳しく、大きなものがゴソッと逝ってしまったことを思い知り、堪えていたものが決壊しそうになった。
 
 今でも朗々とした平さんの声が耳に奥に鮮明に残っている。朗読などをする時、平さんならどう読むだろうかといつも考える。
平さんに教えて頂いたことは私の血となり肉となっている。
 
 平さん、天国でまた一緒に飲みましょう。もうちょっと待っていて下さい。
 
 


シュワルツネガーのマスクをかぶって食べるのに苦労している平さん。


マスクを取った平さん。あまり変わらない・・・