幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

「感謝」 

小林十市

 僕は、噺家故五代目柳家小さんの孫で、柳家花緑の兄で話芸の家に育ったけれど言葉を使わないバレエを選択し海外で活動していた。
腰を痛めて日本に戻り、演出家の青井陽治さんに演劇界に引き入れて頂いたのが後に平さんに出逢うきっかけとなった。
 
平さんと最初にお会いしたのはラサール石井さん演出の『その男』だった。
 
この時僕は直接平さんと演じる場面はなかったけれど、東京と大阪での全69公演を共にした。
この時期既に「幹の会」での演目『冬のライオン』は決まっていて、キャストもほぼ決定していたらしい。ヘンリー2世の三男ジョンを除いては…。
 
何故僕がジョンに選ばれたか?それは『その男』の公演最中、モニターから聞こえてくる僕が発する台詞を聞いて、発せられる日本語が美しかったからだと、それが家系なのか?どうかはわからないけれど、それで決めたのだと平さんは教えてくれた。なんという光栄な事だろうか!!
 
 僕の母は俳優座養成所の16期生で、言ってみれば平さんは大大大の大先輩であり、雲の上の存在で同じ板の上に立つ事さえなかなか出来ない存在なのだけれど、それを演劇学校も出ていない息子がいとも簡単に平さんと共演をする事になった喜びと同時に、きちんと俳優座を卒業した役者としての矛盾を感じたそう。
そんな僕が経験させて頂いた『冬のライオン』東京での公演をスタートに全国演劇鑑賞会を約半年間廻る長丁場になったが、そのお陰で平さんのプライベートも少し垣間見る事が出来た。
位、こだわり、センス、美食家、自分のコンプレックスと向き合い己を高めて行く人間性、真の芸術家なんだなと思った。
 
劇場入りすると残響度を調べ「今日は台詞を少し硬めに誰にあてるかハッキリと」と、毎回違うお題があり毎回が新鮮で平さんと同じ舞台に立てている喜びを日々感じた。 
 
 座組、スタッフに恵まれ誰1人風邪も引かず怪我もせず旅が出来た強運ツアーは平さんの神がかった人徳なんだと思う。
 
本当に「感謝」の一言。
 
 
 
 
 

「冬のライオン」お食事会にて