幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

『オセロー』で
一緒に過ごした7ヵ月は
10年間位の出来事

榛名由梨

  私が役者として平幹二朗さんを知ったのは昭和30年代の頃でした。
宝塚歌劇団に入り、東京公演の時は芝の御成門にある寮から日比谷の東京宝塚劇場に通っていました。
 
上級生に平さんの大ファンの方がいて、その日は楽屋を出て寮まで歩いて帰ろうという事になり、ブラブラ歩いていると、何と店の前に等身大の平幹二朗さんの看板を見付け、その上級生がどうしても持って帰ると言い出して、私たち下級生は悪い事だと分かっていても命令に従って横に倒してエッチラオッチラお持ち帰りしてしまいました。
 
それからというもの、上級生の部屋にお住まいになっているかのごとく置いてあり、私達もお部屋に行ってはしばし眺めさせて頂きました。
 
私はこの様な想い出を思い出し、歌劇団を卒業し女優を目指して40代後半で一人東京に引っ越し、いつかあの平幹二朗さんと同じ舞台に立ちたいと思う様になりました。
 
舞台俳優としてシェイクスピアの作品に取り組まれ、その力強さやオーラを感じ、同じ舞台にやっと巡り合えたのが『オセロー』でした。いつも願っていると夢は叶うものだと実感しました。
 『オセロー』は女性の役は、デズデモーナ、そしてイヤーゴの妻、ビイヤンカと三人しか出演がないのですが、そのビイヤンカの役を頂きました。

せっかく榛名さんが出るのだからと、唄とフラメンコの場面を頂き、夏ごろから青山のフラメンコの先生宅でレッスンに励み、その場面に出演の皆様と汗をかき、振りを繰り返して体に叩き込んでいきました。
そしてメーキャップの指導も受け、衣裳もデザイナーの先生に直々の注文をなさったとお聞きしました。
主役と演出の全てをこなされる情熱に頭が下がる思いでした。
稽古は丁寧に何日間かは立たずにひたすら読み合わせをし、細やかな所までしっかりと頭に叩き込み、毎日が新鮮な気持ちで取り組んでゆきました。
 
 初日から千秋楽まで長ーい旅の始まりです。9月に静岡県からスタートし、四国、九州、東北、北陸と約7ヵ月間、体調管理も大変でしたし、皆様に迷惑だけはかけまいと必死でした。
生まれて初めてこの様な長期間の芝居で不安だらけでしたが、座長の平さんの人間性に触れ、本当に舞台に立つ喜びを教えられた気がします。
 
 ほとんど男性ばかりで女性はたったの5人。
宝塚時代には考えられないような環境でしたが、私はとっても楽しく皆様に仲良くして頂き、今思い出しても幸せいっぱいの毎日でした。
私が平幹二朗さんに出会わせて頂いたこの経験は、何物にも代えられい大切なものであります。
ひとつひとついろんな場所、偶然出会ったイタリアンのお店、ご一緒出来た全員のカラオケ大会、ファンの皆様との交流会、数えあげたらキリがない程、私にとっては10年分位の遊びあり修行ありで、全てが体に押し込まれて今日があります。
 
 これからも平幹二朗さんの舞台への情熱、傍で見せて頂き感じた全てを宝物とし、精進いたします。
本当に有難うございました。
 
 平さんに「榛名さんっておしゃべりね」と言われた事が、ズーンと心に残っています。